
長兄・利朗さんと妻の弥栄子さんは、トリオ食堂の礎を築いた存在だ。とくに、弥栄子さんは開店から26年間、厨房を担当。「20歳で結婚したので料理は全部自己流です。誰にも習ったことはないんですよ」。カラダを使って仕事をしているお客さんが多かったので、塩分は多めにした。しかし、あくまでも家庭の味にこだわった。
一方の利朗さんは、開店から10カ月ほどで秀男さんにバトンを渡している。「秀男がやりたいと言っていたので、『ほな、せいや(じゃあ、やりなさい)』と。わたしは兼業でお米を作っていたしね。秀男は昔から仕事に関してはすごく熱心な男。今もようするで(よく働く)。感心なで」。本家を守る立場の利朗さんは、10歳年が離れていることもあって、秀男さんにとって父親に近い存在。現在もトリオ食堂の精神的支柱なのである。
トリオ食堂の隣にある「トリオ不動産」。経営しているのは、喫茶トリオをスタートした次男の義仁さんだ。義仁さんは東京の大学を卒業後、倉敷に戻って喫茶トリオを開店した。当時、周辺には電気も来ておらず、電気を引くのに電柱を11本も建てなければならなかった。「水道もきてなかったので、水は本家で汲んで桶に入れ、毎日リヤカーで運んでいました。それが1年間続いた。それも家族みんなが協力してくれていました」 義仁さんは1975年に宅建の資格を取得、「トリオ不動産」を創業した。 しばらく、喫茶と不動産、食堂の3つが並んで営業していたが、2004年に喫茶トリオは閉店した。義仁さんは閉店の理由を「時代の流れ」と言う。「トリオは兄弟でやっているようで、それぞれが独立してやっています。でも、気持ちは一緒という面は常にどこかにありますね」
秀男さんの次男・信二さんは、1996年から10年間、トリオ食堂で働いていた。信二さんには「30歳までに自分の店をもちたい」という夢があった。軽トラックを購入し、ラーメンの屋台に改造したのが30歳のとき。昼間はトリオ食堂で働きながら、夜になると駐車場の一画で屋台を営業する。そんな生活が2年続いた。そして2007年に独立。現在は奥さんの奈穂子さんと一緒にラーメン屋台「シナカン」を営業している。
実は独立する以前から、両親との間に距離ができはじめていた。「きっちり話すことなく、なんでも勝手にやっていましたから、そのあたりでぶつかることもありました」と信二さん。しかし、現在は「家族が応援してくれているのを実感します」。お母さんの曙美さんからは菜穂子さんに「おかずを取りにおいで」と毎日のように電話がかかってくる(もちろんトリオ食堂で作っている料理)。家族だけじゃない。伯父の利朗さん、義仁さんもシナカンによくやってくる。浅野家の全員が信二さんをバックアップしている