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miya okura in machu

2009年5月。世界中が新型インフルエンザという脅威にさらされ、「フェーズ5」という耳慣れないパンデミック(世界的大流行)宣言が発表されるなか、わたしたちは関西国際空港から旅立った。行き先は、マカオ。空港や現地の状況は不明。わかっていることは、現地の天気予報が「向こう1週間ずっと雨マーク」という情報だけだった。でも、仕方ない。なにしろ、旅の主役が筋金入りの雨オンナなのだから。

彼女の名前は、大倉美弥。島根県生まれ、倉敷市在住の32歳、切り絵作家。児島の「alapaap」や倉敷の「エル・パンドール」、真庭市勝山の「草木染ひのき染織工房」など、岡山県内で広く切り絵の展示を行っている。この日は、お気に入りの「つるかめ屋」のパンツに、NIKEのあたらしいスニーカー。「この旅のために英会話も習い始めたんですよ」と言うのがたのもしく、この仕事に気合いが入っているのがよくわかった。そして、多分に緊張しているらしきことも。


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マカオの正式名称は、中華人民共和国澳門特別行政区。わたしたちがトランジットする香港からは70㎞ほど離れていて、移動はフェリーで約1時間。中国大陸本土南海岸に突き出たマカオ半島と、沖合いのちいさな島から構成されている。1999年までポルトガルの植民地であったため植民地時代の遺構が数多く点在していて、4年前の2005年7月には、マカオの8つの広場と22の歴史的建造物が「マカオ歴史地区」という名で世界文化遺産に登録された。その一方、多くのカジノがあり、「東洋のラスベガス」としても有名である。


到着翌日の朝。晴れの奇跡を祈って目覚めたが想いは届かず、空はまったく冴えない鈍色。細い雨が降りしきる中、タイパ・ヴィレッジというエリアに向かう。昨晩、欲望渦巻くカジノの派手な電飾に圧倒されながらそぞろ歩いたセナド広場界隈とはうってかわって、タイパというちいさな島特有の、のどかな気配に気持ちが落ち着く。ポルトガル領時代の古い街並が残る「官也街」、丘の上の「カルモ教会」と十字公園、20世紀初頭の趣を伝えるコロニアル建築の「タイパ・ハウス・ミュージアム」……まるでポルトガルの裏道のようなくねくねした石畳の細い道を歩き、階段を上り、大きな樹の下で雨宿りをした。独特の淡いグリーンとピンクとイエローに塗り分けられた家壁の色が、雨のせいでこっくりと際立って、異国情緒をひき立てる。

「街じゅうが、デザインのアイデアソースだ……」

1時間くらい街をただ歩いただけだったけれど、美弥ちゃんの目が生き生きと輝き出していた。石畳のパターン、古いドアの鉄格子、剥がれかけた壁の色、歴史的建造物の柱、天井の照明、壁面のレリーフ、古いレストランの看板。少し歩いては立ち止まり、衝動のまま、夢中でスケッチブックにデッサンをくり返す。渡航前から拭いきれなかった彼女の緊張は、雨に流れて景色にとけて、すっかり消えてしまったようだった。


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正午を過ぎたころ、お昼休憩をとる。大きな赤いひさしの下がローカルのお客さんで満席のオープンカフェ『大利来記珈琲室(TAILEI)』。麺をすすっている間に、また強く降り出した雨を見上げて、KJ編集長が提案した。

「美弥ちゃん、ここで切ってみる?」

樹齢100年の菩提樹の下。テラスのいちばん隅っこの席で、唐突に制作が始まった。昼どきで賑わう異国のカフェレストラン。さぞかし落ち着かないのでは、というわたしの心配は杞憂で、彼女はすぐに制作体勢に入った。利き手の左手に握った鉛筆が宙で止まっていたのはほんの一瞬のこと、気づけばもう、カッターナイフに持ち替えられている。

美弥ちゃんの普段の作品作りに特別な道具は使われない。どこの家にもあるカッターナイフと鉛筆、色画用紙、紙を貼り合わせる糊だけが、ちいさな紙箱におさめられている。始めに鉛筆で描く下絵は実に簡単なもので、聞けば「意識的に描きすぎないようにしている」という。だから、紙の上をカッターナイフが細やかに踊るさまは、ほとんど指先の直感に任せているようにさえ見える。作品に、繊細さと大胆さ、予期せぬユニークさが共存するのはこのせいだろうか。このときも、その席だけまるで透明なシェルターに包まれて別次元にあるかのように快調なリズムで指が動き、カッターは優美なカーブを刻んでいく。

雨模様とはいえ時刻は昼下がり。その間にも客は次々と入れ替わり、そろいのTシャツでフロアを仕切る若いウエイターたちは、丼鉢とグラスを持って慌ただしく行き交う。しばらくすると、リーダー格の男の子がほかのスタッフに何やら耳打ちをした。状況からして、ああ、すぐに叱られて撤収か……と思ったら、どうやら逆で、「あの子はそっとしておくように」と告げたらしい。表の行列がどんどん長くなり、何組ものお客さんが「あそこに同席してもよいか」と尋ねるのだけれど、答えは頑なに「NO」。タイパの空気をはらんだ大倉美弥の初めての作品は、こうして、雨と100年の菩提樹とTAILEIの男の子たちの意気に静かに守られて、完成した。


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2日目の朝には奇跡が起きた。すべての天気予報を覆すおだやかな晴空。きのうのうちに目をつけておいた並木通りに、日本から持ってきたキャンプ用のテーブルと椅子をセットする。TAILEIのすぐそば、古い寺院の目の前。寺院は、航海・漁業の守護神として信仰を集める道教の女神「媽祖」を祀る「天后廟」。かつてこのあたりが漁村だった名残である。そして今日も、大きな菩提樹の下。晴れたせいで時間とともにじりじりと気温を上げるタイパの街にあって、航海の女神と樹の精霊の気配を感じるその場所は、時折清らかな風が抜けて心地よい。

即席の青空アトリエで、まるでピクニックでもするように楽しげに、美弥ちゃんはさっそく色画用紙の上で巧みにカッターを操り始めた。「切りたいものが見つかった」。彼女の手から生まれたのは、「ガロ」。きのうモチーフ探しをしていたときに見つけた、古いポルトガル料理店の看板に描かれていたカラフルな雄鶏だ。「朝目覚めたら、ガロに心を奪われていたの」。カッターを動かすたびに次第にきのうの街歩きの興奮がよみがえるようで、集中力がどんどん高まっていく。戸外で黙々とカッターを動かす日本人の姿は、ちょっと不思議な光景ではあるのだが、みな警戒心がよほど強いのかそれとも無関心なのか、しばらく誰も近寄ってこない。それでもそのうち、倉敷なら美観地区、京都なら嵯峨野あたりでよく見かけそうな中年の女性連れがぐるりと美弥ちゃんを取り囲んだ。香港からの観光客らしく、興味深げに英語で話しかけてくる。「これ、すてきね」「きれいだわ。とってもきれい」「買えるの?」。とっさのことに、せっかく習ったはずの英会話のフレーズがすっかり白紙になってしまった美弥ちゃんは、さっき切ったばかりのガロの作品を指して両手の指を広げ、こう言った。

「10ホンコンドル!」

彼女たちが去った後、我に返って10香港ドルがたったの120円だったと気づいた美弥ちゃん。大笑いしながらも「いいの、いいの。買ってもらえるだけでうれしかったんだもん」。そうは言いながらも、30分後に足を止めた台湾からの大学生の男の子には、同じサイズの作品を100香港ドルで売ったのだった。

気温が一向に下がらないまま、ゆっくりと夜がやってきた。大倉美弥のマカオ出張アトリエも店じまい。「すてきな街だった。楽しかった」と、ただそれだけを何度もくり返した美弥ちゃん。タイパのやさしい雨と、歴史が残したモチーフの記憶は、彼女の指先にどんな力を授けたのだろう。


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