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krashjapan special project

masahiro kawabe in taxco,mexico
「どこかで露店をやるのって、面白くない?」

提案したのはKJ編集長、つまりこのぼく。一方、提案された相手は、vol.4「下津井特集」で紹介した、ステンレスのナットを削ってリングを作るアクセサリー作家カワベマサヒロ。始まりはかつてKJの編集室があった児島のカフェだった。カワベくんとの他愛もない話のなかから、突如そのアイデアが浮かんだ。

「ただ売るだけじゃなくって、作るところも見せるのよ」
「それ、面白そうですね」
「どうせやるんだったら、やっぱり海外かな、海外」

安易に海外をもちだすあたり、今から思えば実現する気がそれほどあったとは思えない。だいたい海外なんて、どこにそんなお金があるのだ? しかし、ナットからリングを作ろうなんて作家は、世界中どこを探したってまずいない(しかも機械は一切使わない完全無欠のハンドメイド)。発想の面白さ、技術の高さ、作品のクオリティの高さを海外の人がどう見るかという点には少なからず興味があったのも事実である。

「海外だと、どこがいいですかね?」
「ロンドンやパリって感じじゃないね。ロスとかニューヨークでもないし……そう、メキシコなんてどうだろう?」

無責任極まりない与太話から約1年後の2008年秋、カワベくんとぼく、それにカメラマンの池田理寛を加えた3名は、関西国際空港からメキシコに向かっていた。あれよあれよという間に、いきおいだけで実現したこのメキシコ・ツアー。ぼくたちのなかで、いちばんリアルじゃなかったのはカワベくんだったと思う。カワベくんは32歳にして、初めて経験する海外だった。


1

サンフランシスコとメキシコ・シティでそれぞれ一泊。3日目の早朝、メキシコ・シティで長距離バスに乗り、一路南を目指した。4時間後、突如として急な山の斜面一面に白い壁とオレンジの瓦屋根が隙間なく密集した街が現れた。ぼくたちの目指した街タスコ(Taxco)、息をのむような光景だった。

メキシコきっての銀の産地として栄えたこの街は、現在も銀製品を売る店が数多くあり、観光地として賑わっている。街の規模は児島の半分ぐらい(人口約3万人)。メキシコ・シティの洗練された雰囲気からはほど遠い、垢抜けない、昔ながらの街の雰囲気で、それゆえに妙にしっくりくるものがあった。

到着して早々、街に出た。3時間ほど歩いてみてわかったのは、作品を展示して、実際に制作できる露店を開く場所がないということだった。公園の類はほとんどなく、道という道は坂。くねくねとした細い石畳の道を、フォルクスワーゲンのビートルがビュンビュンと飛ばして走る。とてもじゃないが、危なくて店を構えるどころじゃない。あらかじめ地図を見て、ここなら大丈夫とふんでいた「ソカロ(Zocaro)」という中心地の広場も、許可なく露店を開けるような雰囲気じゃなかった。ソカロのベンチに座って、「さあ、どうしたもんかね?」と投げかけたぼくも投げかけられたカワベくんも、正直よわっていた。

なかば途方に暮れて入った一件のカフェ。そこでぼくたちの救いの神が待っていようとは夢にも思わなかった。


18世紀半ばに贅を尽くして建造されたサンタ・プリスカ教会、街の中心に位置するその教会のすぐ脇の路地にそのカフェはあった。教会の壁と商店に挟まれた平らな細い路地には南の端に車どめがあり、車は進入することができない。おかげで通りは静かだが、地元の人たちや観光客の人通りは絶えない。カフェの名前は「Doraʼscafé(ドラのカフェ)」という。土産モノを陳列した狭い入り口を奥に進むと、中庭に面した、広めの明るいカフェスペースが出現する。そこでいきなり声をかけられた。

「Hey guys, how are you doing?(やあ、元気かい?)」

メキシコに入って初めて耳にしたネイティブの英語だった。声の主は窓側のテーブルに座ったニック・ノルティばりの渋い男性。50歳を過ぎているだろうか、それにしてもポニーテールが実に似合っている。彼はストーム(Storm)と名乗った。後でわかったことだが、彼はタスコに移住してきたカナダ人で、このカフェに集まる外国人常連客のひとりだった。ぼくたちは彼に挨拶を返し、日本から来たこと、カワベくんの露店の場所をこの街で探して苦労していることなどを話した。

「だったらこの店の前でやればいい」

淡々と言って、すぐに店主のデイヴィッド(David)に話を通してくれた(店名のDoraは彼の奥さん)。瓶ビールを片手に現れたメキシコ人のデイヴィッドは笑顔で協力を申し出てくれた。

「もちろんオッケーだ。テーブルも椅子も、ここにあるものは何でも使っていいよ。ほかに必要なものがあれば言ってくれ」

こうしてぼくたちは、タスコ到着の初日に、最高の場所と最高の条件を同時に手に入れたのだった。


02

露店開店当日。午前9時、Doraʼs caféの前にテーブルを設置して作品を展示。それぞれの作品には、前日に用意していた値札がつけられた。デイヴィッドにスペイン語に訳してもらったカワベくんの紹介の文章も一緒に飾る。そして作業台の端に日本から持参した万力を取り付けた。

「削っていいですかね?」

準備が整うと同時にカワベくんが訊いた。

「もう1週間近く削ってないから、削りたくて仕方ないんです」

午前中の静かな路地に、金属的なヤスリの音が響いた。棒状のヤスリを使ってナットの内側のネジ部分を削り落とす音だ。次いで板状のヤスリに換えて六角形の角の部分を落とす。この10年、それだけをやってきたカワベくんの動きにはまったく無駄がない。観光客の姿がちらほら見え始め、作業台を取り囲むことがしばしばあった。そのたびに真新しい六角形のナットを見せて、制作の工程をジェスチャーで説明する。説明を終えると、また削る。午後からもひたすら削り続け、夕方には、あとは磨くだけという状態まで仕上げた。それは「メキシコに到着してから浮かんだ」というイメージをカタチにしたものだった。そのリングを手にとって眺めながらストームがこう言った。

「素晴らしい。始まりがなければ終わりもない」

これはカワベくんが作るリングのデザインの特徴を的確に表現した言葉だった。メキシコにも自分の作品を深く理解してくれる人がいる、カワベくんはそう思ったに違いない。


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露店2日目、作業はスピードアップした。朝から削り始めたリングは、午後2時には削りを完成していた。間髪をいれず、その日ふたつめのリングにとりかかった。

土曜日ということもあって、露店の前で足を止める人の数も前日をはるかに上回った。反応はすこぶるいい。リングを見る人、見る人が「Bonito!(美しい!)」と口を揃える。しかし、現地の物価を考慮してつけた価格がそれでも高かったのか、販売にはつながらなかった。

結局、2日間の売り上げはゼロ。それでもカワベくんはめげない。むしろ、表情は生き生きとしてきている。そして露店最終日の日曜日、開店の準備をしながらカワベくんが言った。

「今日は売れる気がするんですよね」

予想は的中した。ドミニカ共和国から観光でタスコに滞在していた日本人の女性が、開店と同時にリングをオーダーしに来てくれたのだ。日本人がこんなメキシコの僻地でカワベくんのことを初めて知り、カワベくんのリングを身につける───。
あとで聞いた話だが、この不思議なめぐり合わせにカワベくんはいたく感動していたらしい。彼女のオーダーが呼び水になったのか、午後になって、タスコに住むシルバー職人がネックレスを買ってくれた。アメリカからの観光客の女性がリングを買ってくれた(その頃には、カワベくんは3つめのリングの削りを完成させていた)。さらに、夕方の閉店間際になって、フランス人の女性がリングとブレスレットを買ってくれた。カワベくんはアクセサリーが売れたことに喜びを感じていた。しかしそれ以上に、メキシコをイメージして3つの作品の削りを終えることができたことに大きな安堵を感じていた。「なんにも思い浮かばなかったらどうしようとずっと思っていたんです。それにしても、3つもできるとは思わなかった。この街がすごくよかったし、なによりこの場所が最高だった」


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翌月曜日、カワベくんは朝からホテルのベランダで、削った3つのリングの磨きに没頭していた。火曜日も早朝から磨いた。そしてその日の午後にはリングがすべて完成した。「混沌」「vivo(生きる)」「stonealley(石の小路)」と名づけたその3つのリングをもって、ぼくたちはDoraʼs caféに行った。

デイヴィッドはいつものように、7本目だか8本目のビールを飲んでいた。ほどなくしてストームもやってきた。ふたりとも、日曜日の閉店直後にカワベくんがプレゼントしたネックレスとブレスレットを身につけていた。ふたりはカワベくんの作った3つのリングを惚れ惚れとした様子で眺め、「この街でこんなに素晴らしい作品が完成したことが嬉しいね」と言ってくれた。

ぼくたちは何をするでもなく、陽が暮れるまで、カフェで過ごした。Doraʼs caféの心地よさはまるで家のようで、そこにいる人たちは長年の友人、あるいは家族のように感じられた。


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