
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。「不忍ブックスストリート」代表として、一箱古本市を主催。共著に『ミニコミ魂』(晶文社)ほか。
『彷書月刊』にて「ぼくの書サイ徘徊録」を連載中。
東京都在住。


長いあいだ、地方に旅行したときの楽しみは、その土地の新刊書店でタウン誌や郷土出版物を手に取ることだった。出てくる固有名詞(地名とか人名とか)が判らなくても、内容でもデザインでも、なにか目を惹く要素があれば、お土産に買って帰ったものだ。
しかし、最近ではそれがめっきり減った。DTP技術の進化や印刷コストの低下のせいだろうか、どこの書店でもじつにキレイですっきりした雑誌や本ばかり並ぶようになり、その反面、その土地に根ざしたモノから発する〈匂い〉が感じられなくなったからだ。
いま、「旅のお土産」としての印刷物を求めるなら、カフェや雑貨屋、古本屋に行くといい。そこには、無料で配布される「フリーペーパー」が置かれている。
ココで云うフリーペーパーは、『Hot Pepper』『R25』のようにドコの街でも手に入る、広告系・情報系のそれとはまったく異なり、一個人や少人数のグループが止むに止まれぬ情熱のもとにつくりあげた紙媒体を指す。
デザイナーが仕事への欲求不満から持てるテクニックを駆使してつくりあげたビジュアル系フリーペーパーもあれば、日常生活で感じたアレコレを写経のような細かい文字で誌面に刻み込む手書き系フリーペーパーもある。まだ大学生の女の子が出しているものもあれば、八十代のお爺さんがつくっているものもある。
発行者の多くは、仕事で得た収入をフリーペーパーに注ぎ込んでいる。広告を取るわけでもなく、印刷費や発送費は持ち出しだ。出せば出すほどマイナスになっていく。
「どうして、定価をつけて売らないの?」というぼくの問いに対して、ある発行者は「その方が自由だから」と答えた。売るということは、つまり流通させるということだ。流通させるためには、そのしくみにフリーペーパーのあり方を合わせていく必要がある。それがイヤだし、面倒くさいというのだ。
怠け者の言い訳にすぎないと、出版業界の人々は嘲うだろう。でも、収入や流通からフリーになってみて、初めて判ることもあるんじゃないだろうか?
いまぼくが手にしているフリーペーパーの多くは地方色が感じられるものではないが、ひとつひとつから発行者の存在感がビンビンに伝わってくる。つまり独自の〈匂い〉があるのだ。
ウェブ? Eメール? それもイイけど、一冊(一枚)のフリーペーパーが、いろんな場所に飛んでいき、見知らぬ誰かの手に渡ることで生み出されるドラマには敵わないと、ぼくは思う。