赤星 豊

Krash Eyes

倉敷に吹く風

今年4月、倉敷で市長選が行われた。結果は、総務省出身で倉敷市の収入役を務めていた伊東かおりさん(42歳)が大方の予想を覆し、現職の古市健三氏(60歳)を破って当選。倉敷に中・四国エリアでは初となる女性市長が誕生した。「おめでとう」のひとつも言ってあげたいのだが、いまだまったく面識がなく、その機会は当分やってきそうにない。

ほぼ同時期、アメリカでも「変革」をうたった若いバラク・オバマがヒラリー・クリントンを破って民主党の指名者争いに勝利を収めた。アメリカでも倉敷でも、市民は新しい風が吹くことを願っているのかもしれない。しかし、倉敷に女性市長が誕生しても、弊誌KJの発行にはこれっぽっちも影響がない。もちろん、オバマが大統領になったとしてもそう。これまで同様、地道に号を重ねるだけである。

前号vol.6で、「KJは10号で終わる」と公言したことが予想外の反響を呼んだ。「本当に終わるんですか?」とたくさんの人からメールをもらった。「寂しいです」「残念です」という声も少なからずあった。作り手としては光栄なことで、してやったりのいい気分も味わわせてもらった。しかし、なかには勘違いもあって、「KJが10号をもって廃刊」とネットにあった。言葉が足りなかったぼくが悪い。ここでもう一度はっきりさせよう。KJはたしかにvol.10が最終号となる。でも、廃刊になるわけじゃない───完結するのだ。

KJには創刊時から「10号完結」というシナリオがあった。理由はいくつかある。情報誌ではないという雑誌の性格がひとつ。ぼくが飽きっぽいというのも大きな理由としてあるのだが、もっとも大きいのは、惰性でだらだらと雑誌を作りたくないという思いだ。次号ではなにを取り上げようかとか、この素材をどう料理しようかと楽しく考えることもできなくなり、かたく絞った雑巾からさらに水を絞り出すようにして作った雑誌に、ぼくはどうしても世に出す価値を見出せない。

折り返し地点を過ぎたいま、号数を限ったこの発行は、作り手と雑誌双方の緊張感を持続させるためにも有効だったと思っている。たいした風じゃなくていいのだ。ただ淀むことなく、この倉敷を吹き抜ける一陣の風であってほしい。それがこの雑誌『Krash japan』に託したぼくの願いである。