MYSTERY TOUR IN KURASHIKI
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ローランド・ハーゲンバーグ

クラッシュアイズ

倉敷ブルース

去年の11月、雨の日だった。東京を逃れて小さな町に行き着いた。ユニークな町である。夜8時には眠りについて、明日は明日の風が吹くという感じ。この町は、病気だとかローンだとか、人生の重荷をいっぱいに載せたトラックを思い起こさせる。あるいは、いかがわしい男と突然大阪に逃亡した若い娘の物語とか。

細い通りにある家という家は黒い板で覆われている。築後100年以上経った家も珍しくなく、小さいが頑強な要塞を思わせる。そんな通りの光景が、海外からの観光客を惹きつけている。しかし、その日は寒く、雨まで降っていたので、通りを歩いていたのは私ひとりだった。まあそれも悪くなかった。私は暖をとろうと一軒の小さな喫茶店に入った。と、店にいた大きな老眼鏡をかけた年老いた男が私を見つめて言った。
「ドーブリィ・デン、こんにちは」その老人はロシア語を使った。
「ドーブリィ・デン」ロシア語で答えると、老人は微笑んだ。
「ダメですよ、邪魔しちゃ」私のオーダーしたカプチーノを運びながらお店の女性が言う。しかし、老人の耳には入らない。
「知っとるか、わしはシベリアにおったんじゃ、捕虜としての」
「おじいちゃん、また始まった」お店の女性が言う。

隅にいた60歳代の男が、私たちのやりとりを聞いていた。
「シベリアにおったんかい?」
「ああ、いま生きとるんはネズミのおかげじゃ。よう料理してやった。あのスープの匂いがいまも鼻についとる」
「そりゃひどいの!」その男が続けた。「わしの友達にもシベリアにおったのがおるんじゃけど、脱走して、日本に帰ってきたんじゃが」

老人はうつむいてカップを見つめている。まるで戦後63年経ってもまだ生きていることが罪であるかのように。
「脱走じゃゆうて、信じられまあがな?」

老人は口をつぐんだままだった。さて、私の出番か。
「で、その友達は、いまは何をなさってるんですか?」
「何年も前にガンで亡くなったよ」

老人は顔を上げた。
「おじいちゃん、薬を忘れないでね」厨房から女性が言った。老人は薬が入ったケースを取り出した。1週間分がおさまるよう、きっちり21のますに仕切られている。
「それ、おじいちゃんが自分で作ったのよ」女性が言った。

隅にいた男が支払いを済ませ、店を出た。私も立ち上がった。
「ダスビダーニャ、さようなら」
「ダスビダーニャ!」そう言って老人はケースをもった手を振り、薬をそらこじゅうにぶちまけた。
「おじいちゃん、なにやってるのよ!」

また、雨のなか、ひとり通りを歩いた。要塞の一軒に足を踏み入れてみた。そこは古本屋で、店主は苔の専門家だと聞いていた。レジの横には顕微鏡が置いてある。私は思った。夜8時に眠りにつくこの町で、夜になってミクロの世界に入るのも自然なことかもしれない。そこには倉敷の数百万倍もの世界が広がっているのだ。

通りを戻って、また一軒のお店に入る。店主の唇にはピアスがあった。カラダのどこかにはタトゥーがあるかもしれない。長く市役所に勤めていたのだという。彼女はついに、ネオンのきらめく役所のデスクワークから飛び出したのだ。
「ノー・ホラー、ノー・ライフ!」彼女は言って笑った。役所仕事はホラーを感じるには物足りなかったか。黒で塗りつぶされたような店内には、プラスチック製のドクロやつくりものの血、蜘蛛、千切れた手、手の形をしたカフスといった商品で埋め尽くされている。棚のひとつに、太ったネズミのおもちゃを見つけた。あの老人の話を思い出した。寒さと、永遠とも思える夜を耐え忍んだシベリアの収容所で、あの老人の命を救ったネズミ……。