児島が沈んだ日

海

川のようになった旧国道。あっという間に水かさが増し、車は走れなくなった。

路地

浸水した明石被服の倉庫。同社はこの後、約500万円をかけて浸水を防ぐ防護壁を取り付けた。

 大型の強い台風第16号は同日午前、鹿児島県に上陸した後、九州を縦断。午後5時過ぎに山口県に再上陸していた。ほぼ同時刻、倉敷市では警戒態勢を敷いて警戒にあたっていた。
 午後9時10分、児島消防署への直通電話が鳴った。児島沿岸部の唐琴4丁目で、天神川が氾濫しているとの通報だった。すぐに署員4名が消防車で直行した。同消防署の三井清幸さんは現地にかけつけたひとり。「川の水門を閉めていて、水があふれそうになっていたんです。水をかいだしてくれと言われたんですが、ポンプ車を使ってもとてもかいだせる状態じゃない。下流に流しても、川の水自体が高潮であふれそうになっていたんです。周辺の家屋は浸水が避けられない状態だったので、すぐに住民の避難勧告が必要だと本部に連絡を入れました」
 午後10時までの数十分の間に、児島消防署には市民や消防団員から次々と緊急の連絡が入っていた。いずれも沿岸地区が高潮の被害を受けて浸水の恐れがあるというものだった。そして午後10時、倉敷市に災害対策本部が設置される。児島の沿岸部に避難所が開設され、10時25分には児島沿岸部に避難勧告が出された。
 三井さんは唐琴地区にある老人ホームにかけつけ、入所者を消防車に乗せて高台の避難所に運んでいた。さらに、すでに浸水している家々を回って、一人暮らしの高齢者や身体障害者を避難所に運んだ。「深いところでは腰のあたりまで水がきていました。この地区では過去に何度か床下浸水があったのですが、ここまでというのは初めてです」

 同じく浸水被害を受けていた田の口地区。旧国道沿いに社屋をもつ明石被服興業株式会社では、台風に備えて午後10時に幹部社員に集合をかけていた。同社総務部の平岡俊彦さんのもとに連絡が入ったのは、それよりも2時間早い午後8時頃だった。「どうも危ないというので会社に駆けつけると、目の前の道路に水があふれていて、足首が浸かるぐらいの深さがありました。それがあっという間に膝ぐらいの高さになっていったんです。雨で水がたまっていくという感じじゃなかった。海とつながっていて、潮の高さと一緒に水かさがグンと上がってくる感じです。車はもちろん使えず、腰まで海水に浸かりながら駆けつけた社員もいました。でも、もうどうすることもできません。会社の事務所、工場、倉庫のすべてが浸かりました。いまでもよく憶えていますが、会社の中庭の池で飼っている鯉が社内の廊下を泳いでいました」
 下津井、大畠、元浜、味野、小川、下の町、田の口、唐琴、通生、塩生。児島沿岸部は軒並み民家や道路が浸水し、住民はこれまで経験したことがない災害にパニックに陥っていた。
 この夜、児島での床上浸水は2643戸、床下浸水が1693戸、被災者は1万人を超えた。水島を挟んで隣にある玉島も同規模の被害に見舞われ、逃げ遅れた一人暮らしの老人が自宅で水死している。

 瀬戸内海沿岸部に大きな爪あとを残した台風16号。岡山、香川、広島の3県で死者4名、負傷者29名、浸水家屋2万5900戸という甚大な被害を与えた。ここまで被害が大きくなった要因は主に3つある。ひとつは台風の気圧低下による海面上昇。ふたつめは、強い風が波を強める「吹き寄せ」があったこと。3つめは、その夜が1年間でもっとも潮位が高くなる大潮であったこと。この3つの悪条件が重なって未曾有の被害をもたらした、というのが大方の見方だ。
 しかし、児島で被災した住民の多くは、この3つに加えてもうひとつの 要因を口にする。日頃から目にしている潮位の上昇である。児島の元浜・下津井地区で聞き取り調査をしたところ、この20年で少なく見ても約20cmの上昇があるとのことだった。児島の多くの人は、この台風16号の被害を地球温暖化による海面上昇と結びつけて考えており、同等の台風被害がまた近い将来にあるのではと警戒している。前出の、児島消防署の三井さんは言う。「台風がくると、気持ち悪いです。あれを経験する前と後では全然違う。とにかく気持ち悪いです」