カワベマサヒロ

Masahiro Kawabe

Masahiro Kawabe02ring

 昨年の春、リングをオーダーした。デザインは完全におまかせ。オーダーの際、「デザインのためのテーマがほしい」と言われたので、数日して、ぼくは「凪」と伝えた。東京から倉敷に戻ってからここ2年ほどの、波風の強い人生を「凪」のように落ち着かせたいという思いがあったのだ。そして、1カ月を少し過ぎた頃、リングが出来上がった旨の連絡を受けた。
 児島の編集室まで届けてくれた。手渡されたのは10センチ四方の桐の箱。そのなかにあったリングは、児島という土地柄をよく表すデニム生地を巻いたものに上品に収まっていた。まぶしいばかりの光沢と穏やかなカーブが連鎖するデザインに、たんに「美しい」という言葉では表現しきれない奥深さを感じた。あらかじめサイズをはかっていた左手の親指にはめてみる。しっとりとした、これまで味わったことのないつけ心地だった。その心地よさにうっとりとしながらも、同時に鳥肌が立つような思いも味わっていた。親指にあるそれは、すでにぼくにとって「凪」以外なにものでもなかった。ぼくはあまりのクリエイティビティの高さに、畏れのようなものを感じていたのだ。

 カワベマサヒロ、30歳。下津井地区の大畠に生まれ育った。父親は護岸工事など海底での作業を専門とする潜水士。母親は家でミシンの内職をやっていた(繊維産業の盛んな児島地方ではもっとも一般的な内職)。地元の普通科高校を卒業後、1998年に水島工業地帯にある工業用機械の整備会社に職を得る。実はこの就職が、彼の将来を決定する直接的な要因となる。
 就職して間もない頃のことだった。定年を過ぎても会社で働いていた60歳代半ばの職人が身につけている珍しいデザインのリングに気づいた。聞くと、ステンレスのナットを削って自分で作ったと言う。10代の頃に友達4人と友情の証として、ハート、スペード、ダイヤ、クローバーをそれぞれが身につけるために作ったのだと。職人の指にあったのは、表面がハートの形をしたリングだった。そのストーリーの面白さもあって、彼はリングに強く惹かれた。作り方を訊ねてみたところ、こんな言葉が返ってきた。
 「削ったところが削れ、磨いたところが光る」
 それ以上なにも言わなかった。それから、昼の休憩時間に工場にあるナットとヤスリを使っての格闘が始まった。ステンレスはシルバーよりもはるかに硬い。並大抵の労力では歯がたたない代物だった。しかし、男が言ったことも本当だった。削ったところが削れ、磨いたところが光る───。頑張った分だけ結果が出た。彼は没頭した。毎日のように昼の休憩時間をつぶして削った。家に帰っても削るようになった。最初のリングができあがるのに1カ月ほどかかった。カワベの記念すべき第1号、それはあの初老の職人がしていたのと同じハート型のリングだった。

 彼と知り合ったのはちょうど1年ほど前だった。仕事がら、「あそこにこんなアーティストがいる」といった類の情報は自然と耳に入ってくる。カワベマサヒロという名前は、倉敷にいるとよく耳にする名前だった。いろんな人が彼の名前を口にして、会うことを勧めてくれたが、正直、億劫だった。元来、アクセサリーの類にまったく興味がない。ナットとか、ステンレスという素材を言われても、いっこうにピンとこなかった。1年前に初めて会ったのも、なじみのカフェに偶然彼がやって来たからだった。
 いまでもよく憶えている。彼の風貌は異様にうつった。坊主頭に爺さんのような長い顎ヒゲ。しかし、まっすぐこちらを見つめる薄い色の目には人を引き込む力があって、ヒゲを差し引いても若々しく見えた。話すと、「ステンレスをひたすら削っている」という周囲の言葉から描いていたイメージとはまったく違っていた。やっていることは凝り固まってはいるが、人には芯の強さとは別なところでしなやかさがあった。言葉には深みと同時に爽やかさがあった。「この男がいったいどんなモノを作るのか」。カワベ作品への興味はそんなところから始まった。

 第1号のリングを作ってからも彼は制作を続けていた。ただひたすら、削り磨く。家に帰ってからも夜中までやった。こんなに夢中になったことはこれまでなかった。いつからか、「一日中、削っていられたらどんなに楽しいか」と、自活を夢見るようになっていた。そんな彼に大きな転機をもたらしたのが、児島王子が岳にあるセレクトショップ「アラパープ」を営む奈良林佳樹だった。カワベが身につけていたハート型のリングを見て、「商品として店に置いてみないか」と声をかけたのだ。早速、翌日にリングをもってショップに行った。ハート型とオリジナルのデザインの2個のリングが、その日のうちにショップに並んだ。ナットを削り始めてからほぼ1年後のことである。
 「価格は奈良林さんと相談して3000円にしました。かなり安いですが、そのときは妥当だと思ったんです。しばらくして、奈良林さんから『売れたよ』と連絡があったときは嬉しかったですね。その最初のお客さんとはいまだに付き合いがあります」

 ほどなくして会社を辞めた。生活のメドはまったく立っていなかった。最初にもらった売り上げは3600円。以降半年の間、売り上げが1万円に届くかどうかの月が続いた。そんな生活を同居している両親や兄はとがめた。しかし、朝から夜中まで削り磨く生活に、これまで味わったことのない幸せを感じていた。
 以降、カワベマサヒロの作品は着実に人気を集めていった。その人気は地元岡山県内に留まらず、いまでは東京や京都、名古屋、神戸のショップが彼の作品を常設展示するまでになっている。オーダーも途切れることがない。繁忙期には納品に2~3カ月かかることもざらである。それでも、彼の制作スタイルはハート型のリングを作っていた当初と変わりない。機械の類は一切使わない。1日に完成するのは多くて2個。自分の腕だけでステンレスのナットをただひたすら削り、磨く。素材を変えるつもりもなければ、今後そのスタイルを変えるつもりも毛頭ない。

 カワベマサヒロの作品のスタイルにはふた通りある。ひとつは彼のオリジナルのデザインを施した既成のアクセサリー(輪切りにしたステンレスの配管を削って作るバングルなどもある)。もうひとつは冒頭で紹介したような、テーマを与えられてデザインするオーダーのアクセサリーだ。テーマは人それぞれ。「愛」や「海」といったものから、「青」「失敗」などデザインでどう表現するのか見当もつかないものまで多岐にわたる。
 後者の制作に関して、彼はテーマを与えられたら1カ月間は手をつけない。その間の生活は普段通り。しかし、テーマは常に頭のなかにあって、不意に漠然としたイメージが浮かぶのを待っているのだ。それはビジュアルであったり、雰囲気であったりといろいろだという。いったんイメージが浮かぶと、さらに頭のなかで具体化させる。最終的なデザインまでがすべてが頭のなかで行われる。スケッチの類は一切しない。そして、最終的なカタチが思い描けるようになって初めて六角形のナットと向き合い、ヤスリを握る。
 「テーマをもらうだけで、ビジュアル的なイメージは要求しません。これまでもすべてぼくがイメージしたもので作らせてもらいました。わがままだと思います。でも、それはこれからも曲げるつもりはありません。だから、ぼくのわがままを理解したうえでオーダーしてくれる人たちにはすごく感謝しているんです」
 カワベマサヒロは「アーティストではなく職人」と言ってはばからない。謙遜だと思うかもしれない。でも、謙遜とはちょっと違う。「味」とか「雰囲気」という濁した言葉での許容を許されない「職人」がもっともふさわしいと考えているのだ。それは自分の技術に対する自信でもある。彼の覚悟の表れでもある。
 そんな彼の考え方や姿勢を形成したのは、倉敷の地域性だとぼくは考えている。あらゆる職人が集まる水島という土地柄。繊維産業が家庭にまで根づいている児島(下津井地区は総じて児島に含まれる)という土地柄。彼の両親がそうであったように、これらの地域では、技術によって人は評価される。正直であり、厳しくもあるそんな土地柄が、彼の創作の根幹にあると思っている。

 昨年秋、生まれ育った大畠に工房を構えた。それまでは、児島の実家の軒先を作業場としていた。冬の雪が降る日は、肩に雪が積もるような環境だった。
 工房は自転車が通るのもやっとのような細い路地を何度も曲がった末にたどりつく、下津井地区特有の住宅街の一画にある。6畳ほどのスペースには、作業台と無数のヤスリと最低限の家具があるだけ。彼がそこで作業している姿を何度か見に行ったことがある。工房に入ると、いつもゴリゴリという無骨な音がラジオの音に重なって耳に飛び込んでくる。素っ気ないが悪くない。悪くない空間だ。
 作業は単純だ。これまで何度も書いたが、本当に削っては磨くのだ。少し削っては万力からはずし、水につけて熱をとる。そして削れ具合を指と目で確かめ、万力ではさんではまた削る。そんな彼の姿を見ながらいつも思う。彼のリングほど作り手の手に触れられ生み出されるものはほかにないだろう、と。思わず、「なぜ機械を使わないの?」と聞いたことがある。たぶん、これまで何度となく向けられた質問であることは間違いない。
 「自己満足ですね」と彼は言う。「自分の力だけが動力となってモノができあがっていく、その過程に自分ですごく満足しているんです。これだけの満足感は味わったことがないぐらい。だから機械を使ったとして、それで人がいいと言ってくれても自分では満足できない。効率とか、売れる売れない以前の話なんです」

 ぼくの親指の「凪」は、いまのところ人生の凪をもたらすまでにはいたっていない。どうもこれからも凪の人生とは無縁のような気がしないでもない。それでもこのリングは生涯そこにあるだろう。覚悟のようなものがあるわけじゃない。ただ、そう感じるのだ。