Krasheyes

大久保  憲作

大 久 保 憲 作
1947年倉敷市生まれ。早稲田大学理工学部卒。藤木工務店に勤務の後、倉敷木材に入社。86年、同社の代表取締役に就任。96年、FMくらしきを設立。趣味はアマチュア無線、ヴィンテージラジオ、テレビ、真空管通信機器の蒐集。

 材木屋を家業とする私が、情報を扱うFM放送局の仕事を始めて10年が経過した。「なぜ?」とたずねられるたびに「材木屋は木(気)が多いから……」と冗談で返す。無論、本当の理由ではない。とにかくラジオというものが無性に好きなのだ。病気と言ってもいい。小学3年生の頃に作った、小さな鉱石ラジオが病原菌だったようだ。初めて自作した、簡単この上ないラジオから岡山のNHKが聞こえた。以来半世紀、この病は治るどころか、全身を侵してしまった。
 当時住んでいた倉敷駅からすぐの古い家に置いてあった電蓄(電気蓄音機の略)、それは現在の小型の冷蔵庫ほどの存在感のあるもので、幅と奥行きは約60cm、高さは1mもあった。一番上にはSPレコードを演奏するターンテーブルがあり、その下にラジオの部分がある。そこから聞こえるラジオ番組は、時にニュースだったり、時に「少年探偵団」や「赤胴鈴之助」という胸のときめくラジオドラマだった。ところが、かくもこよなく、深く愛したぼくのラジオはしばらくしてバラバラになった。ラジオの仕組みに愛と興味を持ち過ぎた結果、全てのパーツに分解してしまったのだ。
 当時のスピーカーから聞こえたラジオの不思議な世界、それは本当にアナログの夢であり、楽しさであった。ラジオって素晴らしい! その忘れがたい思いが何十年も熟成した後、「FMくらしき」となった。

 平成8年のクリスマスイブにFMくらしきは開局した。そのお祝いのパーティの舞台に古いアメリカの真空管ラジオを借りてきて置いた。ラジオのビジネスを始めるにあたって、どうしても私の原点を見て欲しかったのだ。RCA製1920年代のもので美観地区の老舗旅館の、今はもう亡くなられているご主人に無理を言って借りた。ご主人も無類のラジオ好きで、その旅館ではどの客室にも必ず古いラジオが飾られ置かれていた。私にはそれがいつも羨ましかった。だからこそFMくらしき開局のその日に、頭を下げてお気に入りの1台を借り受けたのだ。倉敷は古い民家の佇まいが美しい町だが、同様にラジオが似合う町だと思った。
 町にあるコミュニティ放送局というものは、中世のヨーロッパの都市にある教会の鐘楼と同じではないかと思う。鐘の音の届く範囲が、心を一つにするコミュニティであり、鐘楼は人々に時を知らせるだけでなく、鐘の音の組み合わせで、町の様々な情報を、そして生きる喜びや明日への活力をも伝えたという。私自身が、かつて電蓄にしがみついてラジオを聞き、子供心なりの夢を膨らませたように、いまFMくらしきの放送を聞いている方々が同じような気持ちを持ってくれるだろうか。倉敷の町角の音や匂い、そこに暮らす人々の息づかいが伝わっているだろうか。明日への希望と元気を感じてくれているだろうか。FMくらしきは、そういうクオリティの放送を続けなければならないと、いつも心に誓っている。