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Ohara Museum of Art : 4 Episodes
   
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Ohara Museum of Art : 4 Episodes
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 雑誌『白樺』というと、武者小路実篤や志賀直哉、高村光太郎、岸田劉生らが同人として参加した日本の歴史に残る文芸誌。実は文学だけでなく、アートや音楽も扱うカルチャー誌であり、当時は流行の先端を行く雑誌だった。
 この『白樺』が創刊されたのは1910年。同年の秋の号で「ロダン特集」が組まれたときのこと。ロダン本人に直接、生年月日をたずねる手紙を送ったところ、「日本の浮世絵と自分の作品を交換しよう」という返事があった。そこで同人たちがお金を出し合い、30枚の浮世絵を送ると、ロダンから3点のブロンズ作品『マダム・ロダン』『或る小さき影』『ゴロツキの首』が送られてきた。
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 武者小路らは彼ら白樺の同人たちが蒐集した西洋美術作品を展示する美術館を構想していた。当時、実現していれば日本初の西洋美術館となるはずだった。しかし、この話は関東大震災により立ち消えになってしまった。そこで彼らはロダンのブロンズを大原美術館に寄託することにした。ちなみに、彼らが初めて購入した西洋美術の作品であるセザンヌの『風景』も、大原總一郎が大いに気に入っていたこともあって、開館20周年の記念に大原美術館に寄託されている。白樺同人たちは自分たちの夢を大原美術館にダブらせていたのかもしれない。
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 大原美術館が盗難に遭ったのは過去に2回。1回目は1963年1月。開館していた昼間に展示していたコローの『ナポリ風景』が盗まれた。犯人は観客のいない隙に、あらかじめ用意していた複製と差し替えて持ち去った。この事件は犯人が捕まらず、 未解決のまま時効を迎えている。
 そして2回目の盗難。1970年11月、今度は一度に5点が盗まれた。犯人は未明にガラス窓を破って館内に侵入し、本館2階に展示してあったゴッホの『アルピーユへの道』、ルオー『道化師(横顔)』、モロー『雅歌』、ギヨマン『自画像』、ヴュイヤール『薯をむくヴュイヤール夫人』を盗み出した。5点とも額縁からはずされ、中身だけが持ち去られていた。
  国内での美術品の大量盗難事件は初めてで、全国の新聞が連日一面で大きくこの事件を取り上げた。捜査体制も大規模で、岡山県警は倉敷署に特別捜査本部を設置。さらに全国でのべ2万2500人の捜査員が動員された。海外流出を避けるために国際刑事機構(ICPO)にも手配した。しかし、事件の手がかりはなく、捜査は難航した。
 迷宮入りの声が囁かれていた72年のはじめに事件は急展開する。府中刑務所から服役した男が、刑務所で知り合った男から盗難の話を聞き、情報を国立西洋美術館に売ろうとしたのだ。その年の2月、岡山県警のベテラン捜査員、土岐政美が府中刑務所でカギとなる服役中の男に尋問。粘り強い追求で全面自供に追い込み、ついに犯人一味5人が判明した。盗まれた5点は犯人の逮捕とともに、東京都内と長野県下で無事発見された。この2回目の事件を機に、大原美術館は窓をコンクリートで塗りつぶし、人工照明に変えた。昼夜を問わず警備体制も厳戒に。以来、盗難事件は一度も起きていない。
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 ピカソもゴーギャンもセザンヌもある。が、大原美術館にはゴッホの作品が展示されていない。なぜこの20世紀を代表する作家の作品がないのか。
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  上が贋作とされる『アルピーユへの道』。
 実はかつてゴッホの作品は展示されていた。ゴッホが南仏サン・レミの精神病院で療養中に描いたとされる『アルピーユへの道』である。この絵はゴッホの研究家として知られる静岡脳病院院長の式場隆三郎の仲介で大原美術館にやってきた。式場は当時ゴッホの鑑定者として世界の第一人者だったド・ラ・ファイユに手紙で購入を依頼していた。
 1935年12月、大原家にフランスからファイユの鑑定書付きで『アルピーユへの道』が届いた。これは大原美術館が開館後に初めて購入した絵でもあった。その日から35年後、この作品は先に紹介した盗難事件に遭った。無事帰ってきたものの、盗難があった70年にオランダのゴッホ委員会がこの絵を「真作とは信じがたい」との結論を出していた。疑惑がもたれた以上、美術館としては展示するわけにいかない。こうしてゴッホの幻の作品は展示からはずされ、所蔵庫に永遠に眠る───はずだった。
 現在、新館の地下に『アルピーユへの道』が展示されている。そのすぐ隣にまったく同じ構図で若干色彩が鮮やかな作品が。作品名は『ゴッホをもっとゴッホらしくするために』。これを描いたのは画家の福田美蘭。日本人がゴッホらしいと感じる色彩を施し、ふたつを並べることで、我々のイメージの中に定着しているゴッホの作風とは何かを考えさせてくれる。これは2002年に福田美蘭が大原美術館有鱗荘で開催した個展のために描かれたもの。こうしてゴッホの幻の絵は、暗い所蔵庫から再び陽の目を見たというわけであるが……。
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 工芸館のエントランス付近に、建物に沿って小さな池がある。ここで池一面に葉をはり、花を咲かせている睡蓮は、実はジベルニーにあるモネ邸の池から株分けされた本物のモネの睡蓮なのである。
 2000年に山陽新聞旅行社が主催した「児島虎次郎の足跡を訪ねる」というツアーがあった(児島の孫で倉敷芸術科学大学教授の児島塊太郎氏や大原謙一郎氏も参加している)。このツアーで訪れたモネ邸で、睡蓮が株分けされた。大原美術館に到着したのは黄色とピンクとが2株ずつ。今では27株にまで増え、来る人の目を楽しませている。
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