すべての始まりはエンセナーダという街だった。いまから5年以上も前、2004年の9月のこと。映画コラムを担当している黒住光とふたりであてもなくバハ・カリフォルニアを南へ目指した。途中で宿をとったこの街の、安ホテルの2階にあるポーチのような場所でKJの最初の構想が生まれた。これ、ウソのような本当の話である。
その時点で実現する可能性は限りなくゼロに近かった。「月に住めたら面白い」みたいな軽いノリで、倉敷をテーマにした雑誌があれば面白いのでは、と話した。ちなみに、黒住とは15年ほど前に東京で知り合ったのだが、偶然にも同い年、同じ倉敷の出身だった。
エンセナーダに到着する前に3週間ほどアメリカを車で旅していた。巡った街はセントルイス、メンフィス、ニューオリンズ、カンザスシティー、デンバー、フェニックスなどなど。そんな無軌道・無計画な旅を通してぼくも黒住も、本当のアメリカらしさはNYやロスといった大都市よりも、むしろ地方都市にあると感じていた。エンセナーダで話した「倉敷をテーマにした雑誌」というのは、つまり「地方都市をテーマにした雑誌」という意味だった。
それにしても、まさかぼくがやるとは思わなかった。雑誌を創刊し、継続するために必要な行動力や組織力、資金力のどれをとっても、黒住より少しはマシだったにしても、ポテンシャルは相当に低かった。それでもKJを立ち上げ、こうして10号まで継続できたのは、意地以外なにものでもなかったと思う。この5年間、ただただ「負けたくない」という思いで突っ走ってきた。何に対しての勝ち負けなのかはよくわからないまま、でも絶対負けたくなかった。
KJはこのvol.10をもって完結する。創刊当初に決めたシナリオ通りで、ぼくは負けなかったことになるわけだが、勝ったという感慨もない。達成感とか満足感とは無縁だ。あるのは感謝の気持ちと、「いったい、あれはなんだったんだろう?」というぼんやりとした思い。なんのために走っていたのか、KJとはなんだったのか。その答えが出るのは、もしかしたらずっと先のような気がする。



