Krash Cinema Blog

ライター。元・日本美女選別家協会会員。
1963年倉敷(水島)生まれ。
コチラでも映画の話を書いたりしてます。

For Your Eyes Only 読後忘却すべし

 バンクーバー五輪が終わった。
 いろいろあった、が、やっぱ女子フィギュアだ。
 なんか、面白くなかったんだよなあ。


 いや、今のフィギュアスケートの採点方式はいかがなものか、とか、浅田真央陣営の戦略はどうだったか、みたいなことは言わない。私はフィギュアのジャンプの種類も見分けられないド素人なので、そういう専門的な話に口をはさむつもりはない。ただ、一介のテレビウォッチャーとして、どうも満足できない残尿感がある。
「浅田真央ちゃんが負けたからガッカリしたんだろ」って? そうじゃない。私は上村愛子が4位に終わってメダルを逃した時もスッキリしていた。これがスポーツだ、また頑張れよ愛子ちゃん、と彼女の涙を清々しく眺めていた。フィギュアの後も、真央の悔し涙のインタビューには感動していた。
「相手が韓国だからだろ」って? 私は嫌韓じゃない。北京五輪の野球の決勝は韓国を応援してたぞ。ていうか、そもそも勝ち負けの話じゃないんだよな。


 五輪前から、面白くない気分はあった。テレビがすぐに「技術の真央VS表現力のヨナ」という紋切り型を持ち出すのが気に入らなかった。
 五輪を見て分かるように、二人の闘いは「技術VS技術」だった。すべてのエレメントを綺麗に仕上げるヨナの技術と、大技トリプルアクセルとメリハリの利いたステップの二点豪華主義で挑む真央の技術。その闘いだった。玉虫色でよく分からん表現力の評価など、あの二人には付け足しに過ぎない。
 さすがに五輪後は「技術VS表現力」とはテレビもあまり言わなくなり、その点はスッキリしている。


 気に入らないのは、あれが「史上最高の闘い」と言われることなのだ。確かに点数的には史上最高なんだろうけど、私の目には面白い対決ではなかった。ヨナの勝ちがもう鉄板で予想できてたから? いや、だから勝ち負けの話じゃないんだってば。何と言うか、ショーとして面白くなかったということだろうか(ショーとして見ちゃいけないんだろうけど)。
 はっきり言おう。私はどうも二人の顔が気持ち悪いのだ。いやいやいや、顔の造作の美醜を言ってるのじゃない。顔の表情が表しているキャラクターの話だ。二人とも、キャラとスケーティングが合ってないじゃん、と言いたいのだ。


「真央ちゃんにはタラソワコーチの『鐘』のコンセプトは合ってない」というのは前から言われていたが、それはまだ彼女が『鐘』を滑り切れていない段階での声だった。私は「いや、五輪に合わせて完成させてくる」と思っていた。
 果たして、五輪の真央はミスこそしたものの、完全に『鐘』を滑りきった。そのコンセプトをきっちり表現できていたではないか。
 しかし、その完成版を見てやっと私も悟ったのである。やっぱりキャラには合ってなかったなと。演目が、ではない(ここ重要)。彼女の滑りは演目を見事に表現していた。しかし、それによって、そもそも彼女の滑りと彼女の顔が合っていなかったことがハッキリしたのである。


 キム・ヨナはよく言えば妖艶、悪く言えば意地悪そうな表情をする。浅田真央はよく言えば純粋無垢、悪く言えばボーッと間抜けな表情をする。ところが二人のスケーティングが生み出すイメージは、ヨナは淡々とクリーンな滑り、真央はダイナミックな滑りだ。ヨナの滑りを見て「わあ綺麗!」とウットリしたいのに、あのキツイ表情で睨まれてギョッとし、真央の滑りを見て「うおぅスゲー!」と興奮したいのに、あのボンヤリした表情でヘナッとなる。
『フェイス/オフ』のニコラス・ケイジとジョン・トラボルタのように、真央とヨナが顔を取り替えてくれていたらよかったのに。そうすれば「わあ綺麗!」と「うおぅスゲー!」の闘いに、私も「史上最高の闘いだった!」と拍手喝采したのに……。そこに何とも言えない残尿感を感じて、私は面白くなかったのだ。


 まあ、そんなことは何年も前から分かってるよ、とフィギュアファンには言われてしまうのかもしれない。ゴメン、五輪の時だけフィギュアを語る素人で。
 わかった。では、フィギュアファンが指摘しないであろうことを言おう。俺が言わねば誰が言うという話だ。


 キム・ヨナのショートプログラムの「007」。あれは演目として完全に間違っている。
 選曲が悪い。せっかく007をテーマにしておいて、何だあの腑抜けたフレーズの羅列は。確かに聴き覚えはあるんだけど、007全22作の中で、どの作品のどのシーンで流れた曲だったっけ? という感じのどうでもいいメロディが続く。あれはボンド映画で敵の陰謀が淡々と進行中のシーンで流れるような「つなぎのシーン」の楽曲ばかりだろう。


 007なら、もっとギンギラギンにグラマラスでキャッチーな曲を使わんかい。ボーカル曲が使えないフィギュアの音楽としては、『ロシアより愛をこめて』のインストゥルメンタルのオープニングタイトル、「ダカダカダン、ダカダカダン!」と威勢良く始まって「ン、チャチャ…ン、チャチャ…」とセクシーなベリーダンスの映像へつながっていく、あのイメージなんか最高じゃないか。あ、ロシアより愛をこめちゃ韓国的にマズイのか。
 じゃあ、冬季五輪的にはスキーとボブスレーを見せ場にした『女王陛下の007』の曲だっていいだろうし、スケートなら全米フィギュア2位の経歴を持つリン=ホリー・ジョンソンが出演した『ユア・アイズ・オンリー』の曲だっていいだろう。
『ダイヤモンドは永遠に』のダイヤのキラキラ感をイメージするイントロの雰囲気なんかも、銀盤のきらめきに似合うかもしれない。曲のタイトルから言えば、『私を愛したスパイ』のテーマ曲「Nobody Does It Better(あなたより上手い人はいない)」なんて競技にはぴったりじゃないか(ま、この曲は過去の五輪のフィギュアで使った選手がいたような気もするけど)。
 とにかく、もっと007らしさを感じさせる曲のフレーズがいっぱいあるんだよ!


 まあ百歩譲って、プログラム前半の曲がダラダラつまらないのは目をつぶるとしても、クライマックスはもっと悪い。
 ヨナのショートのクライマックス、「デンデケデンデン、デンデンデン……」とおなじみの007の曲が流れる。誰もが知る、これぞ007の曲。文句ないじゃん、と思われるかもしれないが、あれは決定的に間違っている。あの曲は「ジェームズ・ボンドのテーマ」という曲なのだ。
 あれは「007の映画の雰囲気」を表す曲ではなく、「ボンドというヒーローのイメージ」と直接結びつく曲なのである。
 あの曲に乗って滑るなら、ヨナはボンドを演じなければおかしい。男っぽい衣裳を着て男装の麗人になり、「私は女版ボンドよ」というイメージを演じるのでなければ曲に合わない。なのに、「ボンドガールを演じきりました!」って何だよそりゃ。あの曲でボンドガールが出てきちゃダメなんだよ。
 第1作『ドクター・ノオ』では「ジェームズ・ボンドのテーマ」がオープニング・タイトルに使われているが、その時のタイトルバックの映像は無機的な幾何学模様だ。セクシーな女性のシルエットが現れるシークエンスでは、カリプソ調の別の曲に変わる。その後のシリーズで「ジェームズ・ボンドのテーマ」が流れる時は、たいていボンドが任務地について行動開始する場面で、ボンドが一人で颯爽と歩く映像とともに使われる。ボンドガールと絡むようなシーンでは流れない。あの曲はボンドそのもの、マイ・ネーム・イズ・ボンド、世界にひとつだけのボンド、ボンドみちのく一人旅……ボンド以外の何物も混じらない曲なのである。
 どうしても「ジェームズ・ボンドのテーマ」を流しながらボンドガールを演じたいのなら、物陰からボンドを見張っている女、みたいな演技でもするしかない。
 たとえば『スター・ウォーズ』のルーク・スカイウォーカーを演じますという設定で、「ダース・ベイダーのテーマ」に乗ってルークが颯爽と滑ってちゃおかしいだろう。もし「ダース・ベイダーのテーマ」を流しながらルークを演じるなら、ベイダーの影に脅えるルークとか、ベイダーに怒りを燃やすルークとか、ベイダーから逃げるルークとか、そういう演技になるはずだ。


 お分かりいただけるだろうか。クレオパトラを演じる人にシーザーのテーマをかぶせたりしちゃおかしいだろ、という道理である。……と思って、安藤美姫がクレオパトラに扮したフリーの曲を調べてみたら……な、なんと「マルコ・ポーロ」の曲だそうな。うん、性別も国籍も時代も合ってない。そうか、雰囲気ものか。タランティーノが西部劇の曲を第二次大戦の映画に使うようなことだったか。すみませんでした。
 でも、やっぱボンドのテーマで女ってのはなあ……。