Krash Cinema Blog

ライター。元・日本美女選別家協会会員。
1963年倉敷(水島)生まれ。
コチラでも映画の話を書いたりしてます。

コーラのCMに見る「日本人の物語」

cocacola.jpg 『The Coca-Cola TVCF Chronicles』というシリーズのDVDが出ている。日本で放映されたコカコーラ(正式表記は「コカ・コーラ」だけど)の古いCMを集めたものだ。買っているのは私のように40代以上のオッサンが中心だと思う。要するに「懐かCM」集である(ちなみに、この「懐かCM」という言葉は昔TBS系でやっていた『テレビ探偵団』のコーナータイトルなのだが、今では『テレビ探偵団』自体が懐かし番組になってしまった)。
 駄菓子屋に10円玉を握りしめて通った頃、50円以上したコカコーラを買って飲んでる子はセレブ扱いだった。ボウリング場で父親に買ってもらったコーラをラッパ飲みした日曜日のスペシャル感や、母親に連れられて入った喫茶店でレモンの輪切りが入ったのをストローで飲む時のオシャレ感。大きな自販機の細い窓を開けてガチャンと引き抜く(懐かしいでしょ、こういう自販機)時のワクワク感。コカコーラは間違いなく「憧れのアメリカ」の象徴だった。少し時が経つと瓶入りより缶入りが主流になり、子供には飲みきれないような350mlのアメリカンサイズの缶(今のようにアルミ缶ではなく硬いスチール缶だった)が、自販機からガコンと出てきたのに驚いた。1ドル=360円の固定相場制も終わり、日本が豊かになっていく時代にコカコーラも相対的に安い飲み物になっていったけれど、それでもまだ1975年のコカコーラの販促キャンペーンが巻き起こしたヨーヨー・ブームで、コカコーラのオフィシャル・ヨーヨーの中でいちばん高い350円の「スーパー」を買うのは子供たちにとって、かなり日本人離れした浪費感だった。
 『The Coca-Cola TVCF Chronicles』はVol.1&2を全部見ると2時間以上かかる。短いCMの連続を2時間も見ていると気が狂いそうになるが、Chroniclesとは年代記の意味だ。年代順に見ていくことによって、ここに日本の戦後史が表れていることに気づく。
 60年代のコカコーラCMは「スカッとさわやかコカコーラ」のキャッチフレーズで、日本人モデルや加山雄三、ワイルドワンズなど当時の若者世代を代表するスターが出演。一部の先進的な日本人がアメリカナイズされた生活(パーティやスポーツ)をしている姿を描き、僕らもこうなりたいと憧れさせる仕組みである。70年代に入ると「Come on in, Coke」のキャッチフレーズで外国人モデルの映像が中心となる。ある程度アメリカナイズが進んだ時代に「でも本物の外人はこうですよ」と教える意味があったのだろう。80年代前半には「Yes Coke Yes」のキャッチフレーズのもとに矢沢永吉や早見優が登場してCMソングを歌った。アメリカでのレコーディングを始めていた永ちゃん、ハワイ生まれの優ちゃんらを起用することによって、「世界に出て行く日本人」とコカコーラのイメージを重ねたものだった。
 それら80年代までのコカコーラCMも実に懐かしく味わい深いのだが、CMウォッチャーの間で最も高い評価を受けているのは、80年代後半から90年代初頭にかけて流れた「さわやかテイスティ I Feel Coke」のシリーズである。「初めてじゃないのさ……♪」と歌う癒し系メロディに乗せ、松本孝美ら美形日本人モデルとエキストラ(もしくは本当の一般人)が演じる、昼休みの会社員たち、学校帰りや部活中の中高生、勤務中のお巡りさん、ちょっと一服中の漁師さん、結婚式場の花嫁さん、散歩中のお相撲さん……などなど、ごく普通の日本人の生活の中にコカコーラがある光景が、スローモーションで共感的に描かれる。アメリカに追いつけ追い越せで頑張ってきた日本人が、もうコカコーラを何でもなく飲むようになった。バブル真っ只中だった時代に「普通の日本人って、こんなにカッコよくて美しいんだよ」ということを示したこのCMは評判となった。
 しかし、このシリーズとともに『The Coca-Cola TVCF Chronicles』の見どころも終わってしまう。バブル崩壊の90年代中期以降、コカコーラのCMがまったく面白くなくなるのだ。個々のCMはクリエイターが必死に知恵を絞って作ったに違いないが、そこにはもう何も「日本人の物語」が見えない。コカコーラCMが面白くなくなる時期と、よく言われる「日本の失われた20年」がぴったり重なることは非常に痛い思いがする。
 アメリカ映画が好きでアメリカ文化が好きな私は、「ああ。ハリウッド映画ですか。どうせまたアメリカ万歳なんでしょ」みたいな、昨今の日本人の「嫌米」ブームが頭にくる。「アメリカを嫌えばカッコいいと思ってるお前の安直さがワシは嫌いなんじゃ。アバクロを喜んで着とる奴の安直さと、お前の安直さは同じじゃ、ボケ!」とイライラするのだが、アメリカを嫌う人も、それを嫌う私も同じ穴のムジナだ。何かを嫌うことや憎むことは、何も生み出さない。
 「さわやかテイスティ I Feel Coke」にたどり着くまで、日本人がアメリカナイズを目指したことが正しかったのかどうかは分からない。しかし、それを「成し遂げた」ことは誇れることだった。今、日本人は「何が嫌いか」を自分語りしてる場合じゃない。「この先、僕たちはどうなりたいのか」を見つけないと、「失われた20年」は30年も40年も続いていくだろう。