犯人捜しはよろしくない。罪を憎んで人を憎まずである。たとえば年金問題について「こんな事態を招いたのは誰の責任だ!」と犯人を吊し上げても、何も事態は解決しない。そんなことより年金システムの再構築に向けて知恵を絞ることこそが急務だ、という意見はまったくの正論である。それでも人々は、問題そのものよりも犯人捜しに夢中になってしまう。今も日本中の人たちが「毒入りギョーザ事件」の犯人捜しに夢中である。テレビで得た情報を材料に、ああでもないこうでもないと事件を推理している。国際問題を孕んだ事件なので、うかつなことは言わない方がいいのだが、素人探偵のヘッポコ推理ごっこは後を絶たない。
どうも人間というのは、犯罪にドキドキワクワクしてしまう生き物なのである。犯罪者を名指しして吊し上げてやりたいと思い、さらには、自分が犯罪者になってみたいとさえ夢想する。そのいやらしい欲望を合法的かつ安全に満たしてくれる装置として、ミステリー小説やミステリー映画は人気があるわけだ。
「探偵ゲーム」という子どもの遊びをご存じだろうか。地方によって呼び名が違うかもしれないが、キャンプなどのレクレーションとして定番のゲームだ。
床の上にみんなが輪になって座り、トランプのカードを配る。あらかじめ3枚のカード(たとえばスペードのエースとジャック、ジョーカーなど)を「犯人」「共犯者」「探偵」のカードと決めておき、それを引いた人が犯人役、共犯者役、探偵役となる。カードが配られたら、お互いに見られないように自分だけで確認し、みんな目を閉じて土下座のような格好で頭を伏せる。
「犯人」と「共犯者」だけがこっそり立ち上がって犯行を始める。みんなの輪の中央には丸めた新聞紙か何かが置いてあって、犯人はそれを持って誰かの頭をポカリと殴るというのが犯行の内容である。共犯者は犯人が誰なのかを分かりにくくするため、歩き回って音を立てたりなどの偽装工作をする。
犯人が誰かを殴ると、殴られた被害者が大きな声でゆっくりと10か20数え、その間に犯人と共犯者は元いた場所へ戻って何食わぬ顔で座る。被害者がカウントし終わったところで全員が顔を上げる。
ここから探偵役が名乗り出て、尋問を始める。「あなたの隣の人が動く気配はありましたか?」「音はどちらの方から聞こえましたか?」などの質問を各人に行い、犯人と共犯者だけは嘘をついてもいいが、他の人は正直に答えなければいけない。質問を繰り返して、探偵が犯人と共犯者を当てるというゲームである。
やってみれば……いや、やらなくても分かるだろうが、このゲームで楽しいのは、探偵と犯人と共犯者の3人だけだ。みんな、どれかの役が回ってくることを待ち望んでゲームに参加する。傍観者でいるより事件に参加したいのが人情である。特に楽しいのは犯人か共犯者役になった時だ。見られないのをいいことに女子の脇腹をつついてみたり、女子の頭の上でチンポを出してみたりして、犯人と共犯者は必死に笑いをこらえるのである。
今ではベストセラー作家としておなじみの、リリー・フランキーというふざけた名を名乗る友人がいる。私とリリーがまだ学生だった頃、男女20人くらいの大人数でキャンプに出かけたことがあった。コテージやバンガローというより仮設住宅という表現が似つかわしい掘っ立て小屋にみんなでザコ寝して泊まり、そこでこの「探偵ゲーム」をやった。「王様ゲーム」が流行る前の時代だ。何とも健全なキャンプですなあ。
何ゲームか繰り返した後、リリーに犯人役、私に共犯者役のカードが回ってきた。こういう時、何かバカなことをやらなければ気がすまないのがリリーという男である。彼は小屋の入り口の土間の方まで歩いていき、やおらパンツをずらすと、土間の上に水平に渡されている梁に両手両足をかけ、ナマケモノのような格好でぶら下がった。私は無言でリリーの企みを了解した。このままゲームの「犯行」は行わず、みんなが「どうしたんだよ」と顔を上げた時、ケツを出したリリーが梁にぶら下がっているので大爆笑……という狙いだ。
しかし世の中、想定外のことが起きるものである。リリーが梁にぶら下がった瞬間、その古い木の梁は「バキッ!」と大きな音を立て、真っ二つに折れてしまったのだ。犯人リリーは「ドスッ!」と鈍い音を立てて土間に落下し、「ウウー……」と呻いたまま立ち上がれない。物音に驚いてみんなが顔を上げたが、座敷より低い土間に落ちたリリーの姿は見えない。リリーが空中を自由落下していく一部始終を見守っていたのは、共犯者の私だけだ。何が起きたのか、事情を説明するのにしばらくかかった。
幸いリリーは軽い打撲だけで済み、貧乏学生の私たちは梁を壊したことを小屋の管理者には内緒にして帰った(誠に申し訳なかったが、もう時効のはずである)。爆笑を狙ったはずのリリーは失笑、苦笑、嘲笑と、叱責を浴びることになった。図らずも犯行の共犯者となった私が教訓として学んだのは、完全犯罪は難しいということと、犯罪者には必ず天罰が下るということだった。