Krash Cinema Blog

ライター。元・日本美女選別家協会会員。
1963年倉敷(水島)生まれ。
コチラでも映画の話を書いたりしてます。

六本木の仇を倉敷で討つ。

76.jpg 『キル・ビル』を観たのは六本木ヒルズだった。……って、いつの話をしてるんだか。いや、映画ってのは「後からほのぼの思うもの♪」なのよ。いちいちその日に観た映画の感想を無理して言おうとするから、「映像はスゴかったけどストーリーがありがちなので、60点」みたいな、つまらんコメントになるのだ。映画を語るってのはそういうことじゃないだろ、なあ、映画の友よ。何年経っても「いやぁあの映画ってホントにさぁ……」と語りたいから映画を観るんだよなあ。言いたいことが「60点」の一言で終わってしまうような奴なんかと酒飲みたくないわい。
 って、誰に怒ってるんだか。話を戻すが、『キル・ビル』である。六本木ヒルズのヴァージンシネマズ(現・VIRGIN TOHO CINEMAS)だ。不夜城たる東京は六本木のシネコンは、木金土曜日は朝5時まで映画をやっている。夜型人間(ダメ人間とも言う)にとっては便利なので時々利用するが、ここで『キル・ビル』を観たのは間違いだった。
 タランティーノが70年代東映映画を愛してるのだということは分かった。しかし「俺は70年代東映映画をよく知っている」ということを伝えるだけのために映画を作ってどうする? 石井輝男映画のように確信犯的デタラメなディテールで話が進み、ユマ・サーマンが下手な腰つきの日本刀でヤクザを斬り刻み、ルーシー・リュウが和服姿でカタコトの啖呵を切る。いや、演技や演出が不自然なのは狙いとして受け入れるとしても、役が生きていないのが辛い。役者は熱演しているが、キャラクターは空虚なドラマの中に「東映映画的なもの」という記号として存在しているだけである。
『キル・ビル』はもちろん「東映映画そのもの」であるはずはなかったが、「東映映画をモチーフにした新しい娯楽映画」にもなっていなかった。そこにあるのは、「タランティーノの自己満足による東映映画ごっこ」ではないのだとすれば、「東映映画という思想を伝えるためのコンセプチュアル・アート」とでも言うしかないものだった。
 それを六本木ヒルズで観てしまったのが最悪である。席を埋めていたのは、オシャレなアクション映画を観に来たつもりがアテが外れて、ポカンとしている若者ばかりだったからだ。むしろ『映画秘宝』カブレのオタクが「東映映画のヘンなところが好きなタランティーノが好きな俺が俺は好き」と言いたいために爆笑したり拍手したりする中で観たのなら、「テメーら分かっちゃいないんだよ!」と負の方向に自分のテンションを上げることもできただろう。意味が分からず失望している観客に囲まれて、意味が分かるから失望した私は、途方に暮れていた……。

 私は倉敷東映で『トラック野郎 天下御免』と『極道VSまむし』の二本立てを観た……と言っても70年代の話ではない。この2005年の6月のことだ。シネコン時代になって昔の映画館がほとんど全滅した倉敷で、倉敷東映だけはかつての邦画封切り館から名画座に転向して今も生き残っている。
 70年代から変わらぬ姿の劇場で、70年代と同じく数少ないお客さんが、70年代東映映画を観ていた。“一番星”菅原文太は相変わらずウンコネタを一生懸命演じ、“極道”若山富三郎は腹巻きからピストル抜いてブッ放し、“まむしの兄弟”菅原文太&川地民夫が長ドスを振り回す。『トラック野郎 天下御免』も『極道VSまむし』も、目を見張るような映像があるわけでも、珠玉のドラマがあるわけでもないが、点数を付けるなら100点満点だ。これは東映映画ごっこではなくて、本物の東映映画だからである。70年代東映映画は普通に面白かったり普通につまらなかったりする、普通の映画として存在していたのであって、特殊なスタイルとして“面白がる”ものではなかったのだ。普通の東映映画を普通に楽しむ時間と空間が、倉敷東映には奇跡のように生きている。
「おばちゃんもなあ、ここを何としても守ろう思うてやっとるわけじゃないんよ。まあ何とか借金せずにやっていける間だけは続けよう思うてなあ……」という、倉敷東映の女将さんの言葉を聞いたら泣けてきた。私はタランティーノより東映映画を見ている本数は少ないのかもしれないが、東映映画を愛する気持ちをアメリカ人に教えてもらう必要はない。あの日、六本木で胸の奥に残ったワダカマリが、倉敷でやっと解けたのだった。