Krash Cinema Blog

ライター。元・日本美女選別家協会会員。
1963年倉敷(水島)生まれ。
コチラでも映画の話を書いたりしてます。

6/16 テレビがうるさい日々

 ワールドカップ開催中、皆様いかがお過ごしでしょうか。私はサッカーについては4年に1度、W杯本大会だけはちょこっとテレビ観戦するという程度なので、試合内容について特に語りたいところはない。ただ、四六時中テレビを点けているTVウォッチャーとして言いたいのは、やっぱりNHKの実況はいいなあ、ということだ。NHKは落ち着いていて聞きやすい、民放はうるさくて嫌だ、という意見は多くの人が言うところだが、私もホントにそう思う。

 アナウンサーに対する評価として「どれだけサッカーをよく知っているか」という視点で語られることは多いが、それはあくまでサッカー通の意見である。もちろん重要なことなのだが、実際に放送中それが気になってしょうがないというのは、視聴率で言えば5%程度の視聴者だけだろう。50%の人にとって重要なのは「アナウンサーがアナウンスという仕事をよく分かっているかどうか」である。

 NHKの名実況には数々の伝説があるが、近年で有名なのはアテネ五輪の男子体操で日本が団体金メダルを獲った時の、刈屋アナの実況だ。「伸身の新月面が描く放物線は、栄光へのかけ橋だ!」のセリフでおなじみだが、言葉自体は特にどうってことはない。その手の凝った言い回しは民放のアナウンサーもよくやることだ。
 刈屋アナの素晴らしさは、その言葉を発する瞬間に至るまでの放送全体の展開、そしてアナウンサーとして最も大切な声の使い方、間の取り方の素晴らしさであった(あの時の裏話をご本人がココで語っている。深い経験に裏打ちされた刈屋アナのアナウンス論は、金メダリストたちの偉業に負けないくらい感動的な話だ)。
 知識をひけらかすのではなく、知識に基づいて適切な言葉を選び、解説を引き出す。丁寧に、上品に、親切に、放送の脇役として出しゃばらず抑えた刈屋アナの興奮が、主役の選手が栄光をつかんだ瞬間に抑えきれず少しだけこぼれ落ちる。その時、テレビの前の私は背筋が震えるほど感動してしまった。日本人が勝ったから嬉しかったのじゃない。あまりにも美しい瞬間を刈屋アナと共有できたからだった。
 W杯の舞台に立っているのは超人のような選手たちである。私はサッカー通じゃないのでよく知らないが、ロナウジーニョのボールへのタッチは神の領域の繊細さを持っているのだろう。ならばアナウンサーの声もそれに等しい繊細さを持ってボールを追い、芝を走らなければならない。そのレベルを目指しているのはNHKのアナウンサーだけだ。

 サッカーの本場、ラテンの国の実況アナウンスはやたらうるさい絶叫型だということは知っている。しかし、日本がサッカー後進国だからと言って、何でもサッカー先進国の真似をすればいいというものじゃないだろう。日本人は日本人の美意識でサッカー中継を味わいたいと思う。
 ただし、渋谷の街で暴れている青ジャージの若者の姿などを見ると、日本人もかなりラテン化してきているのかもしれん、とも思う。私がNHKのアナウンスに感じる日本的な美はもう時代遅れで、ラテンなノリの新しい実況スタイルが求められているのかもしれない。
 とはいえ、今の民放の中継で絶叫しているアナウンサーたちは私と同じような世代で、サンバが踊れるわけでもなさそうな人たちばかりだ。一本調子な絶叫とデータ的情報の羅列で隙間なく音を埋める、という彼らのアナウンスにはラテンのリズムがあるわけではない。ただ安易なだけだ。