Krash Cinema Blog

ライター。元・日本美女選別家協会会員。
1963年倉敷(水島)生まれ。
コチラでも映画の話を書いたりしてます。

12/28  たまには映画評っぽいことを。

 皆さん、今年も一年いろいろあったなあと振り返りながら、お過ごしのことでしょう。私はいつものように大した出来事もない一年でしたが、今年いちばん思い出深いことと言えば、石坂“金田一”浩二さんにインタビューできたことでありましょうか。

『硫黄島からの手紙』『武士の一分』『007 カジノ・ロワイヤル』などが大ヒット上映中の今、『犬神家の一族』がボテボテの内野ゴロみたいな惨めな興行成績で上映中だ。まあ、今さら市川崑監督、石坂浩二主演で『犬神家』をもう一度リメイクしても、若い子たちは見ないよなあ……というのは目に見えていた。しかし、この映画に期待した数少ない限られた客層のど真ん中に、私は入っている。
 76年、市川&石坂コンビの角川映画第一作『犬神家の一族』が公開されたのは、私が中学1年の、映画バカ盛りの頃だった。当時の大ブームに、そりゃあハマりましたよ。
 しかも、『犬神家』は信州が舞台だが、他の横溝ミステリーは岡山の話が多い(横溝先生は神戸生まれで岡山に戦時疎開していた)。『犬神家』以後の横溝ブームで映画化された数々の作品……市川&石坂の東宝シリーズ『悪魔の手鞠唄』『獄門島』、松竹の『八つ墓村』、東映の『悪霊島』などは、どれも岡山県内でロケされていた。特に『悪霊島』は水島の亀島山を悪霊島に見立てて撮影されていて、亀島山を遊び場にして育った私には思い入れ深い。

 今回のリメイク版『犬神家の一族』は評判が悪い。私も、これは失敗作だと思っている。しかし、失敗作というのは、駄作とは違うのだ。リメイク版『犬神家』は失敗だったとは思うが、決して駄作ではない。手を抜いて適当に作られた映画でもなければ、大きな勘違いで作られた腹立たしい映画でもない。一流の映画人が真面目に知恵を絞り、ていねいに手間をかけて作り、しかし残念ながら成功はしなかったという映画だ。非常に立派な失敗作だ。
 たとえて言うなら、清原がまた日本シリーズに出てきて、三振するのを見たようなものだ。ホームランになれば昔からのファンが狂喜乱舞したに違いないが、結果は三振してしまった。適当に流したゲームじゃない。いい加減な気持ちで打席に立ったのではないし、素人みたいな醜態をさらしたわけでもない。でも、結果は三振だった。そういう感じである。清原の渾身の三振を見るのも一つの見ものだろう。それはそれでいいじゃないか、と私は言いたいのである。

 リメイク版『犬神家』はやっぱりダメだねという意見で、最も多いのはキャストを比較する発言だ。石坂浩二や加藤武が老けたからダメだとか、島田陽子は良かったけど松嶋菜々子はダメ、坂口良子と深キョンじゃ全然違うとか、そんな意見だ。
 なるべく偉そうな物言いはしないように心がけている(つもりの)私なのだが、『犬神家』に関してだけは思いきり偉そうなことを言わせてもらいたい。なにしろ私はこの映画のど真ん中のお客さんなのだ。偉そうに言う権利がある。
 この映画について、キャストに文句をつけるような奴は何も分かってないバカだ。そんなのは些末な問題だ。木を見て森を見ないバカだ。ああ、思いきり言わせてもらいますよ。俺がどれだけこのシリーズのファンだと思ってんだバカヤロめ。そんな表面的なところしか見れない奴は黙ってろ。

 市川崑はこの映画を、ただの懐メロ企画ではなく、映画監督としての野心をもって作ったのだと思う。76年版のファンは「昔のと違う」と言って文句をつけるのだが、昔と同じものが見たいならリメイクなんか必要ない。76年版をDVDで見ていればいい。違うからこそ作る意味がある。市川崑がもう一度『犬神家』を撮ってくれと言われて、今の自分ならどう撮りたいかと考えた結果が今回の新『犬神家』である。
 今回のリメイクは、脚本は基本的に前作と同じ(多少は変えられていて、変わった部分がかなり重要だったりはするが)で、画面の構図も前作をなぞるように作られている。一見、キャストだけ変わって前作の再現をやっているように見える。しかし、映画監督がそんな仕事にやりがいを見出せるはずがない。市川崑はあくまで前作とは違うアプローチで臨んでいる。脚本も画面設計もほとんど変えていない二度目の『犬神家』で、市川崑がこだわったのは役者の芝居の演出だったのだ。

 新『犬神家』を76年版と比べると、テンポが悪いと感じるだろう。それは市川崑が意識的にやっていることなのである。76年版ではカット割りが非常に細かく、必ず役者のセリフやアクションの途中で画面が切り替わっていたのだが、今回はそういうコラージュ的な編集は抑えられ、芝居をゆったり見せる作りになっている。セリフの喋り方も妙にゆっくりしている。
 雑誌の取材で石坂浩二さんにインタビューした時、「今回は監督が言葉にすごくこだわっていて、『一字一句、台本と違ってはいけない』『語尾はきちんと終わりまで言って、語尾が消えるような喋り方はしないでくれ』『早口すぎる、この時代の人はそんなに早く喋らない』といった注文を厳しく出されていました」という裏話を聞いた。市川崑監督は意識的にやっているのである。
 映像の魔術師と呼ばれる市川崑監督はビジュアルセンスに関しては76年版に自信を持っていて、何も変える必要はないと思ったのだろう。変えたのは芝居の見せ方なのだ。
 1976年版『犬神家』はコラージュ的な映像の連鎖によって、戦後日本の怨念を論理的に分解していくという横溝ミステリーの「イメージ」を見せたのだが、2006年版『犬神家』は芝居をゆったり見せることによって「ドラマ」を感じさせようとしたのだ。だから今回は松子と佐清の親子の情が前作よりもこってりとドラマチックに伝わってくる。演出スタイルがまったく違うのである。そこを指摘するのが最も重要なことで、松嶋菜々子がどうだこうだなんて話はどうでもいいのである。

 結果としては76年版の方が優れていて、今回は失敗だと思う。しかし、90歳を超えた市川監督が、そういう野心を持った演出を見せてくれたことに私は感動した。だから、素晴らしい空振りだと思うのである。