Krash Cinema Blog

ライター。元・日本美女選別家協会会員。
1963年倉敷(水島)生まれ。
コチラでも映画の話を書いたりしてます。

コーラのCMに見る「日本人の物語」

cocacola.jpg 『The Coca-Cola TVCF Chronicles』というシリーズのDVDが出ている。日本で放映されたコカコーラ(正式表記は「コカ・コーラ」だけど)の古いCMを集めたものだ。買っているのは私のように40代以上のオッサンが中心だと思う。要するに「懐かCM」集である(ちなみに、この「懐かCM」という言葉は昔TBS系でやっていた『テレビ探偵団』のコーナータイトルなのだが、今では『テレビ探偵団』自体が懐かし番組になってしまった)。
 駄菓子屋に10円玉を握りしめて通った頃、50円以上したコカコーラを買って飲んでる子はセレブ扱いだった。ボウリング場で父親に買ってもらったコーラをラッパ飲みした日曜日のスペシャル感や、母親に連れられて入った喫茶店でレモンの輪切りが入ったのをストローで飲む時のオシャレ感。大きな自販機の細い窓を開けてガチャンと引き抜く(懐かしいでしょ、こういう自販機)時のワクワク感。コカコーラは間違いなく「憧れのアメリカ」の象徴だった。少し時が経つと瓶入りより缶入りが主流になり、子供には飲みきれないような350mlのアメリカンサイズの缶(今のようにアルミ缶ではなく硬いスチール缶だった)が、自販機からガコンと出てきたのに驚いた。1ドル=360円の固定相場制も終わり、日本が豊かになっていく時代にコカコーラも相対的に安い飲み物になっていったけれど、それでもまだ1975年のコカコーラの販促キャンペーンが巻き起こしたヨーヨー・ブームで、コカコーラのオフィシャル・ヨーヨーの中でいちばん高い350円の「スーパー」を買うのは子供たちにとって、かなり日本人離れした浪費感だった。
 『The Coca-Cola TVCF Chronicles』はVol.1&2を全部見ると2時間以上かかる。短いCMの連続を2時間も見ていると気が狂いそうになるが、Chroniclesとは年代記の意味だ。年代順に見ていくことによって、ここに日本の戦後史が表れていることに気づく。
 60年代のコカコーラCMは「スカッとさわやかコカコーラ」のキャッチフレーズで、日本人モデルや加山雄三、ワイルドワンズなど当時の若者世代を代表するスターが出演。一部の先進的な日本人がアメリカナイズされた生活(パーティやスポーツ)をしている姿を描き、僕らもこうなりたいと憧れさせる仕組みである。70年代に入ると「Come on in, Coke」のキャッチフレーズで外国人モデルの映像が中心となる。ある程度アメリカナイズが進んだ時代に「でも本物の外人はこうですよ」と教える意味があったのだろう。80年代前半には「Yes Coke Yes」のキャッチフレーズのもとに矢沢永吉や早見優が登場してCMソングを歌った。アメリカでのレコーディングを始めていた永ちゃん、ハワイ生まれの優ちゃんらを起用することによって、「世界に出て行く日本人」とコカコーラのイメージを重ねたものだった。
 それら80年代までのコカコーラCMも実に懐かしく味わい深いのだが、CMウォッチャーの間で最も高い評価を受けているのは、80年代後半から90年代初頭にかけて流れた「さわやかテイスティ I Feel Coke」のシリーズである。「初めてじゃないのさ……♪」と歌う癒し系メロディに乗せ、松本孝美ら美形日本人モデルとエキストラ(もしくは本当の一般人)が演じる、昼休みの会社員たち、学校帰りや部活中の中高生、勤務中のお巡りさん、ちょっと一服中の漁師さん、結婚式場の花嫁さん、散歩中のお相撲さん……などなど、ごく普通の日本人の生活の中にコカコーラがある光景が、スローモーションで共感的に描かれる。アメリカに追いつけ追い越せで頑張ってきた日本人が、もうコカコーラを何でもなく飲むようになった。バブル真っ只中だった時代に「普通の日本人って、こんなにカッコよくて美しいんだよ」ということを示したこのCMは評判となった。
 しかし、このシリーズとともに『The Coca-Cola TVCF Chronicles』の見どころも終わってしまう。バブル崩壊の90年代中期以降、コカコーラのCMがまったく面白くなくなるのだ。個々のCMはクリエイターが必死に知恵を絞って作ったに違いないが、そこにはもう何も「日本人の物語」が見えない。コカコーラCMが面白くなくなる時期と、よく言われる「日本の失われた20年」がぴったり重なることは非常に痛い思いがする。
 アメリカ映画が好きでアメリカ文化が好きな私は、「ああ。ハリウッド映画ですか。どうせまたアメリカ万歳なんでしょ」みたいな、昨今の日本人の「嫌米」ブームが頭にくる。「アメリカを嫌えばカッコいいと思ってるお前の安直さがワシは嫌いなんじゃ。アバクロを喜んで着とる奴の安直さと、お前の安直さは同じじゃ、ボケ!」とイライラするのだが、アメリカを嫌う人も、それを嫌う私も同じ穴のムジナだ。何かを嫌うことや憎むことは、何も生み出さない。
 「さわやかテイスティ I Feel Coke」にたどり着くまで、日本人がアメリカナイズを目指したことが正しかったのかどうかは分からない。しかし、それを「成し遂げた」ことは誇れることだった。今、日本人は「何が嫌いか」を自分語りしてる場合じゃない。「この先、僕たちはどうなりたいのか」を見つけないと、「失われた20年」は30年も40年も続いていくだろう。

世界がファラに恋をした。追悼ファラ・フォーセット

ファラ・フォーセットの訃報をワイドショーで知った時、ウチのテレビの横にはファラのポスターパネルが立てかけてあった。あの有名な水着ポスターだ。世界で1200万枚売れたという中の1枚である。30年以上前、中学生の私が倉敷センター街にあった楽器店(店名が思い出せない)で買ったものだ。思春期の頃は数多くのアイドルポスターを部屋に貼り、やがて飽きたり恥ずかしくなったりして捨ててしまったが、ファラのポスターだけは大事に持ち続けていた。他のアイドルのポスターは「オナペット(死語)」そのものにしか見えないが、ファラのポスターは「時代のイコン」であり、チェ・ゲバラのポスターみたいにカッコよく見えたからだ。
 テレビの『地上最強の美女たち!チャーリーズ・エンジェル』でスターになったファラ・フォーセット・メジャーズ(当時は夫リー・メジャーズの姓を名乗っていた)の初主演映画は『シャレード'79』である。原題は『Somebody Killed Her Husband』。オードリー・ヘップバーンの『シャレード』とは何の関係もないが、ロマンチック・サスペンスだからということで付けられた邦題だ。 まあ、日本公開年度を調べる必要がないのはありがたい。79年だから私が高校1年の時だ。新装オープンして間もなかった頃の倉敷センシュー座で見た(同時上映はジャクリーン・ビセットの『料理長(シェフ)殿、ご用心』だったか、『ピンク・パンサー4』だったか……)。
『シャレード'79』は、デパートのオモチャ売り場で働きながら絵本作家デビューを夢見る男が、美しい人妻と恋に落ちたと思ったら、彼女の夫が何者かに殺されて……というお話。男は万年モラトリアム青年のジェフ・ブリッジスで、美しい人妻がファラだ。ニューヨークを舞台に、オモチャや絵本をモチーフにあしらった「オシャレな大人のメルヘン」風味のロマンチック・サスペンス。残念ながらDVD化されていないが、DVD化を熱望するほどの作品でもない。当時の批評は「ファラのスクリーン進出は失敗」という論調だったと思う。本当にとるにたらない凡庸な映画なのだが、手持ちのVHSで見返すたび、ファラの初登場シーンでジェフ・ブリッジスと同じ目つきになってしまう。デパートの売り場でキョロキョロと探し物をするファラを遠景から次第にアップにしていくショットの積み重ねと、それにボーッと見とれるジェフのショットの切り返し。何のことはない「ボーイ・ミーツ・ガール」シーンのありきたりな描き方なのだが、見るたびファラに恋してしまう。配給会社が『シャレード』の名をつけた気持ちも分からなくない。タイプは違うけどオードリーと同じくらい世界の恋人ですよ、と言いたかったのだろう。
 夫と幼い子供がありながら、デパートで声かけられただけの店員とすぐに恋仲になってしまうヒロイン。夫は仕事とカネとステータスにしか興味のないつまらない男だが、暴力をふるうわけではないし、浮気をしているわけでもないのにである。ファラのファンでなければバカバカしくて見てはいられない映画だろう。あのポスターと同じように、終始「チーズ」と言ってるみたいに横に大きく口を開いて微笑んでるファラが、ちょっと違う表情を見せてくれるのは夫の死体を発見するシーンだ。ショックで泣きじゃくるファラ。まるで小学生のようにエ~ンエ~ンと泣き、ヒックヒックとしゃくり上げる。演技の上手いヘタはともかく、演技プランとしてこんなコント調でいいのかね。とにかく甘えた声(さとう珠緒とか小倉優子とかのニュアンスを思い浮かべていただきたい)で泣けば可愛いというプランだと思う。でも可愛いんだからしょうがない、これでいいのだ、と思わせるファラなのだ。当時はまだ、そういう女優が大根だと批判されることはあっても、「男に媚びてる」と女性誌が叩いたりはしなかった。
 マイケル・ジャクソンの死を悼む言葉は彼の才能や人格を賞賛するが、ファラ・フォーセットの死を惜しむ声は彼女への恋心を懐かしむものばかり。私もそれ以上のことは言えない。ただ上っ面で好きになっていただけだ。そんな評価しか得られなかったファラだが、それを哀しい女優人生だったとは言いたくない。世界中の多くのバカ男たちが、核兵器のある国だからじゃなくて、ファラのいる国だからアメリカを好きになったのだ。それって悪いことじゃないでしょ、ファラ。

寅さんと、北野武と喫茶店

 カフェという言葉がどうも好きじゃない。そのオシャレっぽさが気恥ずかしいのかもしれない。たとえば『バグダッド・カフェ』だ。どうしようもなく惨めな連中の吹きだまりになってる場末のモーテルの話なのに、これがオシャレさん映画になっちゃって「素敵だわぁ、バグダッド・カフェに行ってみたいわぁ」みたいなことになってるんだもんなあ。
 カフェってなんだい気取るんじゃねえよ、キッチャテンのことだろ、とフーテンの寅さんなら言うだろう。
 明治だか大正の日本に喫茶店ができはじめた頃、それはハイカラで素敵なトレンディースポットだったに違いなく、やっぱり「カフェ」と呼ばれていたらしい。しかし、僕らが育った昭和40年代頃にもなると、すでに喫茶店というのは日常的にありふれた場所になり果てていた。
『前略おふくろ様』で桃井かおりが何かにつけてはショーケンを呼び出し、やっかいごとを持ちかけては「海ちゃん、オレ困るっスよ」とショーケンをオタオタさせながら、桃井かおりはノンキな顔して「アメリカのコーシーちょうだい」とアメリカンコーヒーを注文する。そんなコント的日常が繰り広げられるユルユルに弛緩した空間こそが、僕らの想う喫茶店である。
『男はつらいよ 寅次郎恋歌』で、池内淳子扮する子連れの未亡人に恋した寅さんは、彼女が柴又帝釈天の横手に開いた喫茶店に入りびたる。これがまたオシャレのオの字もつかないような店で、池内淳子がコーヒーのドリッパーにお湯を注ぐのは、お決まりのホーローのポットですらなく、大きなアルミのヤカンだった。タコ社長の工場の「労働者諸君」がドヤドヤと押しかけ、カッコつけた寅さんが「おう、さくら。この連中の分も払っといてやんな」と、五百円しか入っていない財布をカウンターに置いていく。正しいキッチャテンの風景である。
 ちなみに、この『寅次郎恋歌』は博(前田吟)の郷里として岡山県高梁市にロケした作品で、当時まだ現役だった伯備線のSL(蒸気機関車)の雄姿を見ることができる。もう本当にSL末期の頃で、小学校の低学年だった僕らが学校帰りに、倉敷の平田あたりの高架をSLが走っているのを目にすると、むしろ非日常な感動を覚えたものだ。かつてSLが惜しまれつつ消えていったように、今、「昔ながらのごく当たり前の喫茶店」が日本中から消えつつある。


『キッズ・リターン』は北野武作品の中でいちばん好きな映画だ。天才たけしの気負いがないところがいい。「どうだ、オレの映画は普通じゃねえぞ」とセオリー外しばかりやってみせる北野映画にはめずらしく、奇をてらわず、ありきたりの青春映画のパターンを平気でなぞっているのがいい。まあ、巨匠としては「あえて普通の話を語ってやったぜ」という一回転ヒネリなのだろうとは思うけれど。
 金子賢と安藤政信の二人を軸にしながら多数の青春群像を描いていく映画の中で、登場人物たちが交錯する場所として用意されていたのが喫茶店だ。「カトレア」という名の、かつてどこにでもあったような喫茶店である。合皮張りの椅子と正方形のテーブル。薄暗く、とりあえず何もかも焦げ茶色に統一してみましたという、センスもへったくれもない内装。同じような喫茶店がどこにでもあったが、チェーン店ではない。映画では丘みつ子扮するママの個人経営だ。
『キッズ・リターン』は平成の映画だが時代設定はまったく不明で、デタラメに昭和的な情景が描かれる(ついでに時間経過の描写もかなり乱暴で観客を戸惑わせる。さすがに北野流セオリー外しの術が完全に封印はされていない)。いつとも知れぬ時代の喫茶店で、金子賢と安藤政信はダラダラと無意味な日常を過ごす。喫茶店でドラマチックな出来事など起きない。金子たちの同級生の一人が店の娘に惚れているが、この恋だって少しもドラマチックにはならない。ただ彼女にコーヒーを運んでもらい、「映画に行きませんか」と誘うのを彼女に無視され続けるだけだ。
 ありきたりの喫茶店には、ありきたりの退屈な時間が流れる。退屈な時間が実は青春の大部分を占めている。退屈から抜け出すために金子はヤクザになり、安藤はボクサーになるが、あっけなく敗れて元の日常へ帰ってくる。美しくも輝しくもなく、せつないのが青春という時間なのだ。ありきたりの冴えない喫茶店こそが青春のリアルにふさわしい。青春の場所がホウ・シャオシェンの『珈琲時光』みたいに、柔らかな光に包まれた素敵なお店に見えてしまっちゃいけないのだ、と思う。

タランティーノ映画でなぜか伝七捕物帳を思い出したわけ

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tarantino_02.jpg 昔、『伝七捕物帳』という時代劇があった。高田浩吉の主演で50年代に映画、60年代にテレビの人気シリーズだったらしいが、私が知っているのは70年代に中村梅之助が主演したテレビドラマシリーズだ。その中で忘れられないエピソードがある。佐野浅夫(三代目『水戸黄門』でおなじみ)扮する贋作彫り師の話だった。名工の名を騙って贋作の仏像を彫って売りさばく佐野浅夫。その悪事が伝七親分に感づかれるのだが、いよいよ捕まりそうになっても佐野浅夫はヤバい仏像彫りをやめない。彫っているうちに仏の心に魅入られてしまい、どうしてもその仏像を完成させるまでやめられなかったのだ。涙ながらにそう語り、潔くお縄を頂戴しようとする佐野浅夫に、伝七親分は「あんたは本物の彫り師になったんだよ」と諭すのだった……という人情話である。
 クエンティン・タランティーノの新作『デス・プルーフ in グラインドハウス』を見て、私はなぜか『伝七捕物帳』のその話を思い出していた。いや、この映画は日本の時代劇とはまったく関係ない。タランティーノが70年代B級アメリカ映画へのオマージュで撮った作品だ。
 正直、あまり気乗りはしなかった。タランティーノと同じ1963年生まれの私(ちなみに、本誌編集長も同い年)としては、彼の趣味は分かりすぎるほど分かる。しかし、パロディやオマージュというのは虚しいものだ。酒場で同年代の映画好き野郎と行き会って、「あれ見たか?」「これ知ってるか?」のオタク自慢大会をやらかしてしまった後というのは、たまらなく虚しい。タランティーノの「これはあの映画からの引用だぜ」「こういうの好きだろ?」という目くばせばかりの映画を見せられたら嫌だなあと思ったのだ。
「最近の映画はCGばかりでつまらねえ。70年代のカーチェイス映画は良かったよなあ。昔はスタントマンが命がけで本物のクルマをぶっ飛ばしてた。ああいう映画が見たいよなあ」……というタランティーノの企画コンセプトに共感はする。ああクエンティン、お前さんの言うとおりだぜ。俺も『バニシング・ ポイント』や『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』や『悪魔の追跡』が大好きだぜ。
 企画の狙いに共感したからといって、結果として仕上がった作品に感動できるかどうかは分からない。それは別問題だ。しかし、『デス・プルーフ in グラインドハウス』は見事に感動を与えてくれたのである。この映画のわざと狙った安っぽさやデタラメさとか、タランティーノの趣味の部分についてはどうでもいい。とにかくタランティーノはクライマックスのカーチェイスシーンを本気で撮っている。70年代カースタントのスタイルをただなぞるだけでなく、元ネタを超える最高にイカレたカーアクションを、マジで必死に撮っている。その心意気が生んだ素晴らしい結果に、私はモーレツに感動したのだ。つまり、タランティーノは仏に魂をこめたのである。本物の感動にウンチクは要らない。

岡山県出身の芸人・春一番が本を出しました。

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実は私が構成を担当した本なので、ぶっちゃけ手前ミソの宣伝ではありますが、いい話なのでぜひ読んでください。
アントニオ猪木の物まねでおなじみの芸人・春一番の本です。

2005年、春一番は原因不明の病に倒れ、死の淵をさまよいました。
医者も見放した絶望状態の春一番を救ったのは、彼が生涯愛し続けるヒーロー、アントニオ猪木でした。病状を聞きつけた猪木さんが春一番の病室を見舞ったとたん、彼は奇跡の回復を果たしたのです。

ウソのようなホントの話。
心の中に誰かヒーローを持っている人なら、きっと泣ける本だと思います。

1/22  バート・マンローという人

 四十過ぎて、この先どう生きていくべきか。今、日本のオヤジたちに提案されている「素敵なライフスタイル」は二つある。「ちょいワル」か「スローライフ」かである。
「ちょいワル」の方は考えるまでもなく私には無理だ。いい服着て、美味い物食って、いい女と享楽的に過ごそうってのは、四十までに人を出し抜いて金とコネとノウハウを蓄積しておかないと無理なんである。
 かと言って、「スローライフ」の方もなあ。いつか倉敷に戻りたいと考えてる私だが、畑仕事して有機野菜作ったりする自分の姿は想像できない。やはりこれも四十までに健康に気を使って畑仕事する体力をキープしておかないと無理なのである。

 何かもっと違う生き方はないのか……と思っていたところへ、刺激を受ける映画を見た。『世界最速のインディアン』である。いや、足の速いネイティブ・アメリカンの話じゃない。60年代に戦前の骨董品バイク“インディアン”をコツコツと一人でチューンアップして、オートバイの世界最速記録を樹立したバート・マンローというニュージーランド人の話である。記録を打ち立てた時、すでに63歳のジジイだった。
 バイク乗りと言えば「ちょいワル」の典型みたいだが、バート・マンローはちょっと違う。住んでる場所はニュージーランドの片田舎だし、カネもなく、バイクのパーツはジャンク品の手作り改造だ。掘っ立て小屋に住んで粗末な食事してる姿は「スローライフ」みたいだけど、若者相手にバイクのスピード勝負したりする血の気はある。一人黙々とガレージでバイクいじりしてるのが好きなくせに、人に会えばよく喋る。世界最速記録に執念を燃やす頑固オヤジのくせして、朗らかで人当たりは良い。老いてなお盛んな女好きでもあるが、相手はゴージャスなアデージョなんかじゃなくて、近所の淋しいオバチャンである。
「ちょいワル」なのかと思えば穏やかな好々爺だし、「スローライフ」なのかと思えばスピード狂だという、ワケが分からないライフスタイルがここにある。マンローを演じているのは殺人鬼レクター博士役でおなじみのアンソニー・ホプキンス。これまでブルジョワやインテリ役ばかりやってきたホプキンスがブルーカラーの男を演じる違和感も、またワケが分からなくて面白い。
 この映画から学んだのは、好きなことを好きなようにやり、でも偉そうにはしないで人当たりよくしてれば幸せになれるということ。そして、夢や目標はもっともらしいものより、他人から見ればデタラメに見えるものの方が素敵だということだ。
 そう考えていたら、倉敷でヘンな雑誌を作っている誰かさんのことが頭に浮かんだ。勝手ながら、『世界最速のインディアン』を「Krash Japan 推薦映画」ということにさせてもらおう。

 赤星編集長はエコに目覚めたそうである。今さらかよ! ではあるが、私も地球温暖化はいよいよ本気でヤバイらしいぞと感じていたところだ。昨年あたりからかなり深刻な報道が増えているものな。時代の先端を行く気がまったくない私や赤星が感じてるくらいだから、かなりヤバイぞ。まあ、赤星くんのことだからヒステリックなエコ運動ではなく、やれる範囲でやってみるかという態度なんだろうから、支持しますよ。いいじゃないですか、ちょいエコオヤジ。「美しい国」ったって美しい地球があればこその話。日本を「戦争もできる普通の国にしよう」ってバカな話に協力するくらいなら、迷わずエコに協力する。

 ここを更新するより先に本誌の原稿を書けと言われそうだが、やっぱ書きたいときに書きたいことを書くのがバート・マンロー的生き方ですからね。
 ところで、私は「ホラー映画嫌い」じゃないよ。「Jホラー嫌い」です。洋画のホラーに関してはダリオ・アルジェント、ジョン・カーペンター、ジョージ・ロメロ、サム・ライミ……等々を80年代に熱中して見てましたよ。そういうのを見て「子供の頃は『妖怪大戦争』も怖くて見れなかったのになあ、大人になれば平気になるもんだなあ」と思っていたところへ、『リング』を見て夜中にトイレへ行くのが怖くなり、「ダメだ、やっぱり日本の幽霊は耐えられんわ」と思い知らされたのでした。映画見てる間に怖い思いするのは娯楽だからいいんだけど、日常生活にまで後を引くのがかなわない。

倉映・イン・ブルー

in_blue.jpg 昔、えびす通りの脇筋を入ったところに倉映があった。もともと倉映という名前だったのか、倉敷映画劇場か何かを略した名前なのかは知らない。かつては邦画を上映していたらしいが、子供の頃の私が通うようになった70年代には洋画専門館になっていた。ここで観た映画の中で、特に忘れられないのが『グライド・イン・ブルー』である。
 アリゾナの荒野をパトロールする白バイ警官が、念願かなって殺人課の刑事に転属させてもらうが、ヤバい裏事情のからんだ事件の中で、おのれの無力さを思い知らされるという話。土地の権力(旧世代)と自由を謳歌するヒッピー(新世代)の間に挟まれて、自己実現の道を見失ってしまう侘びしい男の映画だ。
 74年日本公開だから、私は小学校5年生の時に倉映でこれを観たことになる。すでに一人で映画館に行ったりもして、かなりマセたガキではあったが、こんな大人っぽい映画を進んで観に行ったわけではない。観たかったのは同時上映の“クレイジーボーイ”シリーズだった。当時フランスに“レ・シャルロ”という、バンドとお笑いをやる人気グループ(スパイダースのような、というか、今でいうとSMAPやTOKIOみたいな)があって、彼らの映画が日本では“クレイジーボーイ”というシリーズ名で公開されていた。本当にくだらないシリーズなのだが、小学生の眼にはヒップな笑いだったのだ。しかし、メインとして観たはずのクレイジーボーイの記憶は薄く、シリーズのどの作品だったかも思い出せない(『スーパーマーケット珍作戦』だったかなあ)。それより、『グライド・イン・ブルー』が記憶に残ってしまったのである。
『グライド・イン・ブルー』は70年代アメリカン・ニューシネマの傑作として映画マニアの間でこそ評価は高いものの、一般にニューシネマの名作と言われる『俺たちに明日はない』『イージー★ライダー』『真夜中のカーボーイ』などに比べると知名度は低い。主演のロバート・ブレイクにスター性がないせいか、あくまでマイナーな存在だ。
 小学生の私には話の意味はよく分からなかったが、冒頭に起きる偽装自殺事件のシーンの不気味なけだるさとか、オープニングタイトルのハーレーダビッドソンのカッコよさとか、中盤で豚の糞まみれになる主人公のカッコ悪さとか、バイクチェイスシーンのスローモーションの気持ちよさとか、モニュメントバレーを背後に望む雄大な荒野のハイウェイでポツンと寂しく死んでいく主人公のどうしようもない感じとか、かなり印象的な映画ではあったのだ。
 中学生になって『かもめのジョナサン』を読んだ時、訳者の五木寛之が後書きで『グライド・イン・ブルー』について触れ(これも記憶が曖昧なので、他の人の他の文章だったかもしれない)、「『イージー★ライダー』の主人公がアンチヒーローなどと呼ばれるが、彼らの死はやはりカッコよく美化して描かれていた。『グライド・イン・ブルー』でニューシネマは真のアンチヒーローを描く時代に到達した」といった趣旨のことを書いていたのを読んで、ああなるほど、あれは名作だったんだなと、やっと理解した次第である。
『グライド・イン・ブルー』は“知る人ぞ知る”という位置づけだったので、語りづらい名画ではあった。「通ぶりやがって」と思われたくなかった。しかし、今となっては気にすることもない。同窓会で再会した初恋の女の子に「実は好きだったんだよ」と言うのは20代なら狙う気まんまんだし、30代でもまだいやらしいが、40過ぎれば何の屈託もなく言えるのと同じだ。『グライド・イン・ブルー』は人生の中で大きな意味を持っている映画の一つだし、今観ても本当に素晴らしい名画だと思う。しかし、ガキの頃にこんな映画ばかり観て育ったために、負け犬的な人生観が染みついてしまったのは、いかんともしがたいよなあ。

水島シネマ・パラダイスのころ。

mizushima_cinema.jpg 生まれて初めて映画館で観た映画は『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』だ。今から40年近く前、私は幼稚園児で、まだカラーテレビも普及していない“三丁目の夕日”な時代の話である。大スクリーンに広がる総天然色の世界は驚異の連続。ガメラの体から吹き出る緑色の血の鮮烈な印象は子供心に焼きついている。
 当時、私の家は水島西栄町にあった。『ガメラ対ギャオス』を観たのも水島の映画館である。たぶん、まだ成人映画専門館になる前の「水島大映」で観たのだと思うが、記憶は定かではない。それより後、私のよく覚えている70年代〜80年代初頭の水島の映画街は、邦画専門の「水島東映」と洋画専門の「水島プラザ」が新しいビルの1F2Fにあり、隣の古い建物に成人映画専門の「水島大映」があるという形になっていた。当時は新作映画がまず岡山で封切られ、それが倉敷の映画館に流れ、次に水島の映画館でかかる。つまり水島の映画館は“三番館”だった。まあ、そんなことを説明してみても虚しい。今はもう、ほとんどの映画館がなくなってしまった。
『ガメラ対ギャオス』は祖父に連れていってもらったのだと思う。両親は怪獣映画には眉をひそめていたので、いつも怪獣映画の引率役を引き受けてくれるのは祖父だった。「ふん、やっちもねえ(くだらない)」と言いながらも孫に付き合ってくれた。
 父親が初めて映画館に連れていってくれたのは、『ガメラ対ギャオス』から数年後のこと。水島プラザで上映された『シェーン』である。もちろん『シェーン』(1953年作品)は当時の新作ではなく、リバイバル上映だった。親父は自分が若い頃に見て感動した傑作西部劇を息子たちに見せたかったらしい。私にとっては初めて見る洋画であり、字幕つきの映画だった。
 貧しい開拓農民の一家に世話になった流れ者の男シェーンが、一家を苦しめる土地の悪党どもをやっつける。「シェーン、カムバーック!」と少年の叫び声がこだまする荒野を、一人去っていくシェーンの後ろ姿……というラストシーンはあまりにも有名だ。早撃ちの二枚目ヒーローに少年は憧れるが、シェーンの寂しい後ろ姿は少年に語っている。「俺のようなヤクザ者になるな、本当に男らしいのはお前の父さんみたいに妻と子のために毎日汗水たらして働く男だ」と。父親が息子に見せる映画として実に正しい。しかし、息子がただの映画バカになってしまうとは、ウチの親父も予想できなかったようだ。

 日本の高度成長期が終わり、水島の街もさびれはじめたころ、私の家は水島から引っ越して倉敷の中心部に移った。水島の映画館に行くことはなくなったが、中学生になった私が岡山や倉敷の映画館に入りびたる映画少年になったころ、とある縁で水島の映画館の支配人を紹介してもらうことになった。支配人の笠井さんは「そんなに映画が好きなら、いつでも見に来なさい」と、水島東映・水島プラザ共通の無料パスを私に発行してくれた。岡山、倉敷で見逃した映画も、すべて水島でタダで見せてもらえるようになったのだ。それから高校を卒業するまで、毎週日曜日はチャリンコで小一時間の距離を水島に通い、二本立て、三本立ての洋画邦画を朝から晩まで見まくった。その一本一本の思い出を語ったらきりがない。
 中高生のころの私は人見知りで無口だったが、笠井さんも寡黙な人だった。映画館で会っても笠井さんは「ああ、いらっしゃい」と言うだけだし、こちらはペコリと頭を下げるだけ。ほとんど映画の話をしたこともない。一度だけ、私が『カサブランカ』のハンフリー・ボガートのイラストTシャツを着ていたときに、笠井さんに「お、ボギーだね」と声をかけられたことがある。この人はハードボイルドな人なんだな、と思った。
 水島の映画館が10年ほど前に閉館したことは知っていたが、笠井さんが亡くなったことは最近になって知った。笠井さんに見せてもらったたくさんの映画が自分の人生にとってどれほど大きかったか、その御礼をきちんと伝えられなかったことが残念だ。
 今のシネコンやミニシアターはカップルか女同士の客が中心だが、昔の、私が知っているころの映画館は男の場所だった。水島の映画館を思い出して頭に浮かぶのは、祖父や、父や、笠井さんや、名も知らぬオッサンたちの姿だ。何も言わずに何かを教えてくれた、昭和の男たちの体臭である。

『がんばれ!ベアーズ』

bea.jpg もうすでに忘れられていることを蒸し返すようでアレなのだけれども、岡山発のニュースということで気になっていたのが、某高校野球部の「全裸ランニング」の件だ。いったい何だったのだろうなぁ、あのニュースは? 岡山県内では詳細な報道がされたのかもしれないが、全国版ではまったく中途半端な扱いだった。
 全裸でランニング……。全裸と言えばハレンチだ。ニュースの見出しとしてインパクトがある。これはぜひ報道しよう。……というマスコミの思惑は単純に想像できる。でも、ニュースの内容は単純には理解しにくい。
「全裸で暴走!」なら何かえらいことが起きている雰囲気だが、「全裸でランニング」である。ランニングといはいかにも健全で、ノンキな風情すら漂う言葉だ。全裸でのんびりランニング。何が起きているのかよく分からない事態である。
 これがたとえば「女子ソフトボール部員に全裸ランニングを強制!」というニュースだったなら、話は分かりやすい。明らかにワイセツ事件である。ランニングだろうがラジオ体操だろうが、いや、たとえ「全裸で入浴」であっても、男の監督がそばで見ていたらマズイと思う。
 しかし、某高校野球部の「全裸ランニング」とは、男の監督と男子部員との間で行われていたことなのだ。まず気になるのは、監督には男子の裸を見て喜ぶ趣味があったのかどうかということだが、それはニュースでは触れられない。テレビ各局のニュースで伝えられていたのは、以下のような内容のみである。

 某高校野球部の元監督が、3年前から「メンタルトレーニングの一環」などと称して部員全員に全裸でランニングをさせていた。同監督は部員の喫煙問題で解任され、その後、部員を殴ったことが問題になり、すでに依願退職している。

 どうです? よくわからん話でしょう? 全裸ランニングが問題なのか、殴ったのが問題なのか、いったい何を伝えようとしているニュースなのか、要点がはっきりしない。以下は私の勝手な想像だが、本来はこういう順序で伝えるべき話ではないのか。

 某高校野球部の監督が部員を殴ってクビになった。その後、保護者の間から「もともと、あの監督は生徒を裸で走らせたりする変な人だった。それを見過ごしていた学校に問題があるんじゃないか」という突き上げが起こり、騒ぎになった。そこで、学校側が釈明会見を開き「メンタルトレーニングの一環ということで全裸ランニングの件は容認していたが、不適切だったと反省している。今後は注意する」という旨を発表した、と。

 つまり、ここで起きたのは「学校の職員指導体制が保護者の不信を招いた」という事件であって、全裸ランニングはその一部にすぎないのではないか。それを「全裸ランニング」そのものが事件であるような報道をするから、わけがわからなくなってしまう。
 私の想像は事実と異なる部分があるかもしれないが、事実を問おうとしているのではなく、中途半端な報道をするなと言いたいのだ。「全裸ランニング事件」という奇抜な印象を与えて報道するなら、それが「どんな全裸ランニングだったか」を掘り下げて伝えないと意味がないんじゃないか。
 一部の報道では「夜間に山中のグラウンドで行われていた」とあったから、全裸ランニングが公然ワイセツにあたるという話ではなさそうだ。ならば監督と生徒との間だけの問題である。となると、先にも書いたように、性的虐待だったのか? 性とは関係なく心理的虐待か? では、生徒は全裸ランニングをさせられることでどれだけ心が傷ついていたのか? 監督と生徒の間にはどんな心理的支配が成立していたのか? ……等々が問われるところである。いったいどういう状況だったのだ。
 たとえば若い頃の村野武範か中村雅俊みたいな熱血教師が、海辺でフリチンになって走り出し、「お前たちも裸であの夕陽に向かって走ってみろ!」と叫び、生徒たちも「よーし!」とフリチンになって「先生ーっ!」と後を追って走っていった……という光景だったら、咎め立てするようなことではないだろう。いや、現実にそんなドラマみたいな教師と生徒たちがいたら、それこそ事件かもしれないが。

 今年は高校野球部の不祥事が相次いだ。この全裸ランニングのニュースも、「一連の不祥事」の流れに乗っかって、よく内容を吟味もされずに流されたにすぎないのだと思う。ひとつ大きな事件があれば、似たような事件を探してきて「構造的腐敗」という大問題に仕立て上げるのはマスコミのお約束だ。
 教育と体罰の問題はよく議論される。「愛のムチは必要だ!」「いや、暴力は絶対にダメ!」「いやいや、俺は昔、殴ってくれた教師に感謝してる!」「殴らなくても、本当に立派な教師は生徒から尊敬されます!」とヒステリックな討論を見せるのも、これまたテレビのお約束なのだが、なんだかなぁと思う。ケースバイケースじゃないのか。人が人を育てる場というのは、原理原則だけでは語れないんじゃないのか。
 ……そういうふうに考えるのが人情だから、70年代の村野武範や中村雅俊の時代から、最近の『ごくせん』に至るまで、型破り教師の学園ドラマはヒットするのだ。現実の型破り教師は悪い方へ逸脱している人が多いのだとしても。


 ……ということで話を終わろうかと思ったが、「クラッシュシネマクラブ」というお題を与えられている以上、やっぱり映画のことも書かないとまずいッスね。ここまでの話に関連して、『がんばれ!ベアーズ』のことでも書いておこう。
 ご存じと思うが、少年野球チームを題材にした70年代の名画だ。最近、『がんばれ!ベアーズ ニューシーズン』としてリメイクされたのだが、倉敷では上映されただろうか? オリジナル版を変にいじらず、実に正攻法なリメイクだったので、オリジナル版が好きな人にはおすすめできる。
 70年代版も、リメイク版も、『がんばれ!ベアーズ』が素晴らしいのは、ここに出てくる少年野球チームのコーチが少しも正しい人間ではないことだ。
 元はマイナーリーグの選手だったが挫折したダメ男。今はアル中気味で、少年チームのコーチを引き受けてもベンチで酒ばかり飲んでいる。まことに教育的に不適切である。
 まあ、ここまでは「型破り先生」の王道パターンなのだが、これがお約束通りに「常識的にはコーチ失格に見えるが、実は本当に大切なことを教えてくれる素晴らしいコーチだった……」という方向へは行かないところがいい。
 どうせ俺たちなんかダメなんだ、と負け犬根性がしみついている選手たちに「バカヤロー! 負けて悔しいと思え!」とハッパをかけてヤル気を出させていくまでは「実は彼こそ正しいコーチ」に見えるものの、彼は勝つことだけにこだわりすぎて、大事な何かを見落としていることが後半で露わになってくる。やっぱりコーチも間違っていたのだ。ここには正義のヒーローはいない。欠点だらけの大人と子供が、野球を通してほんの少しだけ自分のマシな部分を発見するという、実にイイ話である。

 また、『がんばれ!ベアーズ』(新・旧両方)が他の多くの野球映画と異なるのは「野球は素晴らしいスポーツだ」とは少しも主張しないことだ。ただ普通に人々の生活の中に野球があって、普通の毎日の中にちょっとイイ瞬間がある。そういう普通の人生を肯定した映画である。
 リメイク版の監督リチャード・リンクレイターは、前作『スクール・オブ・ロック』の好評が今回の起用につながったのだろう。『スクール・オブ・ロック』はロック馬鹿の男が仕事欲しさに代用教員になりすまし、学校のカリキュラムを無視して子供たちにロックを教えるという映画だったが、ロックにこだわりすぎたためにどうもスッキリしない。ロック、ロックと主人公が主張し続けるので、反抗の音楽であるロックを子供たちに強制的に「教育」することの矛盾や、大人の責任を学んだ後に主人公のロック観がどう変化したのかを問いたくなってしまう。「ロックは素晴らしい」などと言わず、ただ「たまたまそこにロックがあった」だけでよかったのではないか。ロックがどうというよりも、そこに教師と生徒がいて、何かに気づいたということこそがドラマのキモなのだから。
 そもそもリンクレイターはドラマチックになることを嫌う映画監督である。初期の『恋人までの距離(ディスタンス)』は、列車の中で隣り合わせになった男女が話をするうちに互いに惹かれ合い、しかし、恋人になる手前で映画が終わるという、反カタルシス映画だった。まあ、そういう「作り手としての照れ」には共感するところもある。
『がんばれ!ベアーズ』をほとんどオリジナル版そのままにリメイクしたリンクレイターは、いちばん感動的な場面(凡フライさえ捕れないダメダメな子が、初めてフライを捕球するという、野球がヘタな人間には涙なしでは見られない名場面)だけはオリジナルどおりにせず、変にヒネッてある。そこは照れずにフリチンで走ろうよ、リンクレイター。

 ※画像はオリジナル版『がんばれ!ベアーズ』公開時の劇場パンフ。

007は何度でも死ぬ。

80.jpg ついにピアース・ブロスナンに代わる6代目ジェームズ・ボンドが正式発表された。……なんて、若い人たちには興味ないニュースだろうなぁ。ヨーロッパじゃ今でもボンドはファッショナブルなイメージを保っているみたいだが、日本の若者たちにはすっかり過去の遺物扱いされている。『水戸黄門』の新キャスト発表を聞くような感覚に違いない。野球とか007とか話題にしてるこのページなんて、完全にオヤジの繰り言だ。まあ、開き直ってオヤジくさい話をまた書くわけだが。


 ボンド役はショーン・コネリーに限る、というのは定説である。ギラギラした野性的セックスアピールに、殺しの番号を持つ男のクールな殺気、アイロニカルなユーモア……というボンドの基本形を確立したショーン・コネリー。しかし、無敵に見える初代ボンドにも弱点はあった。ボンド役に抜擢されるまで無名だったコネリーにはどこかハングリーな若さが残っていて(それがまた魅力でもあったのだが)、贅沢を知る優雅な英国紳士ボンドには似つかわしくない。ワインの年代がどうのこうのとウンチクを傾けるようなシーンが、コネリー=ボンドは今ひとつ板についていない感があった。


 ジョージ・レイゼンビーはコネリーの路線を忠実に引き継いだ2代目ボンド。クールさでは劣るが、アクションの身のこなしはコネリーに勝った。レイゼンビー主演の『女王陛下の007』はシリーズ中唯一、ボンドがマジに恋愛して結婚までする。ドラマチックな傑作としてファンの評価も高く、モデル上がりのシロウト役者だったレイゼンビーも意外な演技力を発揮している。それが一作だけでレイゼンビー降板となったのは、不評だったからではない。自分はスターになったと勘違いしたレイゼンビーが、007を続けなくてもキャリアを築けると思い込んでしまったのだ。調子こいて自分からボンド役を降りたことを、後にレイゼンビー自身が若気の至りだったと認めている。


 3代目のロジャー・ムーアはシリーズ中最多の作品を残したボンド。30代ぐらいの人にとっては最もなじみ深いボンドの顔だろう。ムーアのマイルドなキャラクターを得てシリーズはコメディ色を強め、子供も楽しめるファミリーピクチャー路線へ変質していった。007を長寿安定ブランドにしたムーアの功績は多大だが、彼はボンドを活劇のヒーローというよりも、スペクタクルショーの合間にジョークをはさむ司会者みたいな存在に堕落させてしまった。アクション能力は歴代ボンド役者の中で最低である。ただし、ボンド役以前からすでにスターだったムーアは、リッチでグルメなボンドというイメージにおいては最高かもしれない。


 4代目のティモシー・ダルトンは、おふざけに傾きすぎたムーア路線からボンド映画をシリアスなスパイ映画に引き戻すべく奮闘した。つねにイメージチェンジと原点回帰の両方向を繰り返してきたことが、40年も続くシリーズの長寿の秘訣である。シェイクスピア劇出身の本格派ダルトンは、スパイとして生きるボンドの暗い内面を誰よりも深く演じた。主演の2作はシリーズ中でドラマ要素が最も高い傑作なのだが、興行的には失敗した。ダルトンの最大の弱点は、女をイチコロで落とすボンドのセックスアピールが皆無だったことだ。


 プロダクションがさまざまなトラブルを抱えたこともあって、ダルトンの2作以降にシリーズは一時休止期を迎える。その危機を救ったのが5代目ボンド、待望のピアース・ブロスナンのボンド役就任だった(実はムーア後の4代目ボンド第一候補だったが、諸種の事情からダルトンに譲った経緯があった)。ブロスナンは歴代で最もバランスのとれたボンドである。コネリーのようにクールな色気、レイゼンビーのようなアクションのキレのよさ、ムーアのようにセレブな華やかさ、ダルトンのようにパッションのある演技……すべてを兼ね備えたブロスナン=ボンドは、古くからのファンを納得させると同時に新しいファンも獲得。作品は興行的にも(日本を除けば)大成功した。ワタシ個人的にはコネリーさえも超えた最強ボンドだと惚れ込んでいたので、引退は実に惜しい。


 さて、6代目ダニエル・クレイグはどんなボンドを演じてくれるのだろうか。ヒュー・ジャックマンやジュード・ロウなど錚々たる名前が噂された後に、あまりにも地味な印象のクレイグ。今回の襲名披露には世間の反応も冷ややかだ。ルックスはさほど二枚目でもなく、初の金髪ボンドというのが唯一の売り。しかし、脇役俳優として多彩な役柄をこなしてきたクレイグは演技力の点だけは期待できる。ダルトン=ボンドに近い路線になるのかもしれない。


 このイオン・プロ製作による007シリーズは、イアン・フレミングの原作を使い果たした後はオリジナルストーリーで続けてきたのだが、次回作『カジノ・ロワイヤル』はひさびさにフレミング原作の映画化である。ファンならご存じと思うが、『カジノ・ロワイヤル』は原作小説の第一作であり、イオン・プロより先に映画化権を獲得していた別のプロダクションによって67年に一度映画化されている(ただし、ハチャメチャなパロディ映画として)。原作はボンドと悪役ル・シッフルの駆け引きが見どころのストーリーなので、演技派クレイグを活用したシリアス系スパイ映画の傑作になることを期待したい。


 私が初めてボンド映画を観たのは、小学2年か3年の頃。兄貴が親父にせがんで、今は亡き倉敷駅前の三友館に連れてってもらったのだった。
 シリーズ第2作目『007/ロシアより愛をこめて』だった。私が生まれた年に作られた映画だから、もちろん初公開時ではなく、リバイバル上映である(ちなみに、初公開時は『007/危機一発』というタイトルだったから、マニアには『ロシアより愛をこめて』と書いただけでリバイバル以降のことだと分かるのです。さらにトリビアを加えると、最初に「危機一髪」ではなく、わざと「危機一発」という誤字タイトルにしたのは、岡山県高梁市出身の水野晴郎センセイのアイデアだ)。
 初代ボンド、ショーン・コネリーの、しかもシリーズ最高傑作の誉れ高い『ロシアより愛をこめて』が、私の007ファン道の始まりだった。ロジャー・ムーアから入ってるような連中とは違うんだぜ、というのが私のつまらない自慢だ(本当につまらないが)。


 今のシネコンのように全席指定や入れ替え制ではなかった昔の映画館では、適当な時間に入って映画の途中からでも平気で観る客が多かった。私も『ロシアより愛をこめて』を観た頃は何もこだわらず、親に連れられるまま途中から観た。三友館の暗闇の中に入って、いきなり目に飛び込んできたのはスクリーンいっぱいに広がるダニエラ・ビアンキの肢体だった。
 映画の終盤、ダニエラ・ビアンキ演じるソ連の女スパイ、タチアナ・ロマノワ(こんなフルネームも暗記してます)がボンドと一緒に逃避行を続ける。睡眠薬で眠らされたタチアナを花屋のトラックの荷台に寝かせて運ぶボンド。美女ダニエラ・ビアンキが満艦飾の花びらに包まれて艶めかしく寝返りを打っている……。小学校低学年男子にとってはカルチャーショックな“めくるめく大人の世界への入り口”がそこに開かれていた。子供だった私には、どうして女スパイはボンドと一緒に寝ると味方になってしまうのか、その意味が具体的には理解できていなかったのだが、男の子の本能として感覚的には理解できていた。ちなみに、たしか併映は『続・夜の大捜査線』だったと思うが、こちらは大人の映画すぎてストーリーさえ理解できなかったようだ(まるで内容を覚えていないが、ネグリジェ姿の女の人が出てきたような印象だけが残っている)。


 駅前再開発で三友館が取り壊されてからすでに四半世紀。現在の東ビルの敷地の一角がかつて三友館があった場所だが、その東ビルの三越も閉店したし、三友館から転身した西ビルの書店「三友書房」も閉店してしまった。これじゃ「三友館は二度死ぬ」だ。倉敷駅前の惨状には胸が痛む……。

 ビートルズの『イン・マイ・ライフ』でも歌いましょうか。

 There are places I remember
 All my life, though some have changed,
 Some forever, not for better,
 Some have gone and some remain...


(※画像は今は亡き岡山の映画館たちの、昔懐かしい割引券です。)