新・不定点観測

赤星豊

vol.467 営業デー

「よし、ちょっと歩こうか」
 本日午前10時。突然の思いつきを口にしたようだけど、実はそうじゃない。東京に滞在しているときから思っていた。こっち(倉敷)は完全に車社会、ほとんどといっていいほど歩かない。東京人の5分の1ほど、今回の滞在で痛感した。ヒトミちゃんに体力をつけてほしいというのもあって、就業中でも、時間があれば歩こうと心に決めていたのである。
「デザイナーもイラストレーターも、最後は体力勝負だ」
 いや、そうともいえないと思ったけど、口にしたものは戻らない。ヒトミちゃんは突然のトップダウンのミッションに、あたふたしながら、それでも出かける用意をしていた。
「競艇場の先まで歩くぞ」
 腕をちゃんと振って、一歩一歩、しっかりと歩く。競艇場の先まで約600メートル。そこから折り返して事務所まで約20分のウォーキング。事務所に帰り着くと、背中がびっしょり汗で濡れていた。慌てて事務所にある2台のクーラーをフル稼働させた。
「あああ、暑い!」
「暑いです!」
「やっぱ、夏の昼ってのは無理があるな、暑ッ!」
「そうですねえ、暑すぎます」
 言いながらヒトミちゃんは長い髪の毛を片手で後ろでまとめ、首の後ろをもう一方の手でパンパンたたいていた。うん、やろうという季節を完全に間違えた。アジアンビ―ハイブの体力強化プロジェクトはこうして一度のウォーキングで終了した。


 汗がひいたところで、コーヒーを飲みながらふと思いついた。
「ちょっと営業でもしてみようかな」
 これまで向こうからやって来る依頼だけでなんとか食いつないできたけど、思えば運がよかっただけのような気がする。実際、この7〜8月は仕事らしい仕事がなく、予想の収入額が予想支出額をかなり下回っている。そんなことは前からわかっていたのだが、営業という選択肢をまったく思いつかなかったのだった。
「アジアンビ―ハイブの営業プロジェクト、リーダーはヒトミちゃんね」
「ええええっ! 営業したことないです!」
「プロジェクト名は『#03(シャープ・ゼロサン)』でいこう」
「なんで『3』なんですか?」
「んなことはどうだっていいんだよ。まずはリストアップだ。倉敷・岡山の企業で、ダサいホームページを作ってる会社をリストアップしよう。そんなところは会社案内とかも絶対ダサいから、『こんなの作れますよ」って提案するんだよ。ほら、あそこなんか、絶対ダサいのやってるはずだよ」
 そう言いながら、早速、ホームページをチェックする。ぼくとヒトミちゃんが無言でマックのモニターを注視する。現れたトップページ。
「げっ!」
 ものすごく洗練されていた。
「……心当たりがある会社がひとつあるから、ちょっと電話でもしてみようかな」
 そこは3年間ほど連絡を怠っていた倉敷の某メーカー。
「というわけで、またお時間があるときにお邪魔させていただきたいと思いまして」
 電話の相手は専務のHさん。話すのは実に3年ぶり。いや、4年ぶり?
「今日?」
「いや、今日というわけじゃなくって、一カ月先でも二カ月先でも」
「今日なら午後は空いてるんだけどね」
 電話を切った。
「ヒトミちゃん」
「はい」
「今日の2時に営業に行くことになった」
 それから慌てて先方に見せる営業材料を作ることになった。ベティスミス、富士ヨット学生服などなど広告のデータをプリントアウトし、さらにはDMやショップカードなどを紙に貼り付けクリアファイルにファイリングしていく。


 くだんの某メーカーの駐車場。営業材料を携え、車を降り立った。ヒトミちゃんに営業のなんたるかを見せなきゃいけない………不安だ。
「あのさ、オレ、営業って苦手なんだよね」
「そうなんですか?」
「うん、切り上げるのが早いんだ。いつだったか、福山の北川さんに怒られたこともある。『これからってときに、なんで帰ろうとするのよ!』って」
 何年かぶりというのに、その会社はレイアウトもまったく変わっていない。専務のHさんも同じ席に座っていた。
「いやあ、お久しぶりです」
 Hさんを前にして、KJが10号で完結したこと。これから広告制作でやっていくことなどを早口でまくしたてた。
「じゃあ、なにかあればいつでも提案してください」
 H専務、かなりお堅い感じなんだけど、相変わらずいい人だった。
「わかりました。では、積極的に提案させてもらいます」
 そう言ってぼくは席を立った。具体的に仕事につながる話は一切なし。営業時間、約15分(10分だったかも)。「積極的に」と言っておきながら、および腰の、はなはだ消極的な営業であった。
 アジアンビ―ハイブの営業活動はまだ始まったばかり。しかし、ぼくの営業が仕事につながるとは到底思えない。それでも、このプロジェクトは体力強化プロジェクトのウォーキングとはわけが違う。これから地道に努力していこう。もちろん、最初に任命した通り、プロジェクトリーダーはヒトミちゃんだ(丸投げしてるわけじゃないです)。彼女がひとりで営業に出かけるなんて日もそう遠い話じゃない。頑張れ、ヒトミ!