いつも始まりは電話だ。土曜日の夕方、オトンから留守電が入っているのに気づいた。聞いたのはオトンが留守電を入れてからほぼ1時間後だった。
「とくに用事はないんじゃけどな」
たったそれだけ。とくに用事もないのに電話してくるような人じゃない。パンを買ってきてくれといった類の瑣末な用事では絶対電話してこない。なにかあるのだ、あんまりよくないことが。
「どしたん?」
すぐにオトンに電話した。
「おお、まあの……」
歯切れが悪い、しかも声が小さい。限りなく100パーセントに近い確率でなにか悪いことがあったのだ。
「なんかあったんじゃろ?」
そこでやっと本題へ。
「オカンがの、血ィ吐いたんじゃが」
「血ィィイ?」
「なんじゃろうかのお?」
「そんなん知らんわ。病院は?」
「行った方がええかのお」
「そりゃ行かんといけんじゃろ。どれぐらいの血なん?」
「まあ結構な量じゃの。なんじゃろうかのお?」
「そんなん、オレがわかるわけないじゃろ! ちょっと待っといてや!」
すぐに倉敷中央病院に電話し、急患で受け入れてもらうことになった。車の後ろにオトンとオカンを乗せて倉敷まで30分。オカンはわりと元気だった。でも、車のなかで何度か咳き込んでは喀血した。ぼくは少々イラついていた。これまでのオトンの絵に描いたようなオロオロとした様子に。
病院に着くとすぐに検査が始まった。点滴を受けながらの問診、レントゲン、CT検査。オカンは泥酔したリュウくんみたいだった。点滴の針を抜こうとしたり、指につけた検査の器具を勝手に何度もとったり。ちょっとおとなしくなったと思ったら「トイレに行きたい」と何度も訴える。一瞬も目が離せない。
夜の10時頃に病棟に移され、検査入院することを告げられた。入院を口にすると、オカンは「入院はせん、帰らして」と看護師さんにだだをこねまくった。「お父さんをひとりにはできん、あの人はな、おらんようなるけんな。それでも大事に育ててもらいました。ようしてもらいました」
涙が出そうになった。いろんなことが悲しくて、切なくて。
結局、オトンが一緒に泊まることになった。1階の防災センターに行って、オトン用のふとんを借りた。オトンが寝るのは病室の隅っこにある小さなソファ。あの時とまったく一緒だ。5年前にオカンが脳梗塞で入院したときと。
病院を出ると11時を過ぎていた。どっと疲れた。あんまり食欲がなかったけど、帰りに屋台でラーメンを食べた。あんまり食欲がなかったけど、煮玉子をつけてもらった。あんまり食欲がなかったけど全部食べた、おいしかった。
これからどうなるかわからないけど、まあなるようにしかならないと思っている。ぼくはそのときできることをやるまでだ。「よりによってこの時期に…」という思いはなかなか拭えないんだけど。