新・不定点観測

赤星豊

vol.426 青山の頃

 20代の頃に働いていた編集プロダクションの同僚の女性から突然メールをもらった。偶然、KJのホームページを見たら、ぼくらしき人間がコラムを書いている。最初は同姓同名かとも思ったらしいが、さかのぼってコラムを読み進めるうち、間違いないと確信したという。「どこへ行っても赤星さんらしい。羨ましい」とメールにあった。そのメールへのぼくの返信。
「ひとから羨ましがられるような生き方はしてません。ぼくらしい、ってどんなだ?」
 ぼくの質問に対して、彼女の返信がスカしてた。
「悔しいから教えません」
 久々に彼女とのメールであの当時のことを思い出した。


 名前をメディアマジックという。青山墓地のすぐ近くにオフィスを構えていた。編集プロダクションにしては大きかったと思う。社員は20人以上いた。ウインドサーフィンの雑誌を作る編集部とバイクの雑誌を作る編集部がふたつ、それに広告部に、雑貨みたいなのを作っている小さな部署もあった(現在会社は雑貨で成功しているらしい)。
 最初に配属されたのは広告部。仕事ぶりはまじめだったと思う。2年目には上の人がみんないなくなって部署の事実上のトップになり、かなり自由にやらせてもらった。でも、自由な分、一生懸命働いた。残業や休日返上はあたりまえ。1日1、2時間の睡眠で、1週間ぶっ通しで会社に泊まり込んだこともあった。
 いま思えば、楽しい思いでしかない。なにがぼくらしいかと考えると、会社の裏で猫を飼ってたことかな。冬は猫を膝の上に置いて原稿を書いていたっけ。それとも、移動の辞令を拒否したことだったか。社長に「移動するなら辞める」とたんかを切り、結局、バイクのレース雑誌の編集部に移動になった。そこにちょうど1年在籍して会社を辞めた。居心地はよかったからべつに辞めなくてもよかったんだけど、なんとなく辞めてしまった。そうか、その「なんとなく」というのがいちばんぼくらしいかもしれない。


 彼女も郷里に帰って仕事をしているという。ぼくは東京から西へ、彼女は北だ。この冬は豪雪みたいだから、どうか雪の下敷きなんかにならないよう祈っている。いやあ、今日はこっちもしばれるなあ。