台所で夕飯後の洗い物をしていたら、白鷺が鳴くような甲高い声が聞こえた。白鷺の声というのは、しわがれて、喉の奥から搾り出すような変な声である。お隣さんから聞こえていると思って聞き流していたら、「ユタカよ、ユタカよ!」、ぼくを呼んでた。声はオトンとオカンがいる居間からだった。慌てて泡だらけの手をタオルで拭い、居間に入った。オトンの顔が真っ白だった。ヤバい、心筋梗塞でも起こしたか。と、オトンの隣にいるオカンに目がいった。オカンは顔を膨らませて、涙を流している。すぐ下のコタツ布団の上には吐しゃ物があった。ヤバいのはこっちだったか。
「ユタカ! 背中じゃ、背中! 背中を叩いてくれえ!」
顔面蒼白のオトンが白鷺の声で叫ぶ。オトン、100パーセントのパニック状態。
「大丈夫よ、吐いとるけん、つまってるわけじゃないよ」
「背中を叩いてくれえ!」
オトンにぼくの言うことは聞こえないみたいだった。仕方ないからオカンの背中を何度か軽く叩いた。オカンは気管に食べ物が少し入ったみたいで、目から涙を流しながらあざらしみたいにウエッ、ウエッと苦しげな声を出していた。
2分もすると落ち着いた。オカンはまだ涙を流しながら、「苦しかったあ」と言って笑った。「早食いするけんじゃ」とぼくも言って笑った。ひとり笑えないのはオトンである。まだ顔色は戻っていなかった。
オカンの早食いは、脳梗塞を起こして以来、何度も口をすっぱくして「ゆっくり食べようよ」と言ってきたが、いっこうに治らない。利き腕じゃない左手を使って食べるから、なんでもうどんみたいにズルっと吸い込んで、あまり噛まずに飲み込んでしまう。そして口のなかに食べ物が残っている状態で、また次のひと口をズルっといくから、軽くむせたりするのはしょっちゅうなのだ。
「いつか詰まらせて死ぬで」
台所でオトンに言った。
「正月の餅はもうヤバい。今年は餅はやめよう」
オトンはさっきのことがよっぽどショックだったのか、うつむき加減だ。うちのオトン、実はかなりの小心者なのである。
「そうじゃのお。でも、オカン、餅が好きじゃけんのお……」
「餅を詰まらせて、たくさん人が死んどるんで」
ついこの間、新聞に出てた。年間、9000人以上の人が食べ物をのどに詰まらせて亡くなっている。そのうちの大半は老人だ。冷静に考えると、正月はかなり危険だ。とにかく赤星家の餅の消費量は半端じゃない。大半はオトンで、朝から平気で5つとか6つの餅を雑煮で平らげる。この怪物じみた食べ方の影に隠れて目立たないが、オカンも結構食べる。
「餅をつまらせたら、掃除機の先を口に突っ込むらしいで」
「掃除機をやあ(掃除機とな、みたいな意味です)」
「ほんで、詰まった餅を吸うんじゃって。そんなん、できるか?」
オトンは「そうじゃのお」と言ったきりなにも言わない。たぶん、やれない、この人は。オカンの背中を叩いて白鷺みたいな声で叫ぶだけだ。ぼくは、できる。5年前だったらとてもできなかっただろうけど、いまならできる。
いまのうちに、掃除機の先を洗っておくことにしよう。2010年お正月の、雑煮対策だ。