新・不定点観測

赤星豊

vol.418 おせちブルー

 いよいよ、今年も残すところあと数日。倉敷に帰ってくるまでは、この数日が待ち遠しかった。暮れとお正月を合わせると、だいたい休みが10日間ぐらいあった。過ごし方はいろいろだが、40歳前後では、正月をひとり東京でのんびり過ごすことが多かった。昼間は映画に行ったり、初詣したり、ひとりでお雑煮を作ったり、夜は夜でTSUTAYAで借りてきたDVDをたんまり見て過ごす。そしてみんなが帰省を終えて東京に戻ってくる頃に倉敷に帰省した。倉敷の実家では眠り姫のようにこんこんと眠った。たまに起きるとオカンが作ってくれた料理を食べ、こたつに入ってテレビを見ながらまた寝る。こんな具合に、心身ともにリフレッシュできるのがお正月。それが突然終わるなんて夢にも思わなかった。


 過去5年のお正月は苦行のようだった。正確に言うと、お正月の前、12月30日からそれは始まる。おせち作りである。実はもう一週間以上も前から、おせちのことを考えると憂鬱な気分だった。「今年はスーパーかどこかのおせちを買ってみるか」と思いはするものの、なかなか口に出せない。おせちに負けてたまるか、という変な意地があったりするし。
「暮れ、正月は休めるんか?」
 赤星家の夕食の卓、オトンがぼくに聞いた。たんにぼくの仕事のことを聞いただけでオトンにまったく他意はないのだが、すでにおせちナーバス期に入っているぼくにはカチンときた。この時期、家でははしが転んでもカチンとくる。
「おせちがあるけん、休みはない」
 はなはだ子供だ。こんな態度に困ったのはオトンである。
「もうええで、作らんでも」
「そうゆうわけにはいくまあが」
「おせちやこ(おせちなんか)、のおてもええんじゃけん(なくってもいいんだよ)」
 これまでさんざん苦労してきたおせちに対して、「おせちやこ」という軽々しい扱いにさらに腹が立った。オレのこれまでの苦労なんて、知りやしないだろうが。
「だったら買うわ、買う。今年はどっかのおせちを買う」
 ついに言った。いきおい、言ってしまった。売り言葉に買い言葉みたいな感じで。それがよかったのか、悪かったのかわからない。直後、形容しがたい複雑な気持ちだった。


 それから事務所に戻ってきて、ネットで天満屋のおせちを注文した。実にいろんなセットがあるんだけど、写真が小さいことこのうえない。30分以上も見ていたらいいかげん目が疲れてきて、もういいわ、というところで選んだおせちが21000円。消費税と配送料を足すと24000円を超えた。さらに、お届け先の入力で郵便番号が何度やってもエラーになり、これまた注文完了まで30分もかかった。どっと疲れた。おせちを作るんじゃなくってただ買うっていうだけで、なぜにこんなに疲れるんだ?


 黒豆を煮るのに使う錆びたクギをどこで手にいれるかとか、どのタイミングで数の子と貝柱を買えばいいのかなんてことに頭を使わなくてよくなった。そう思うと、気分はいくらか楽になったようだ。でも、なぜかさっきから心にすきま風のようなものが吹いている。お金にモノを言わせたような(お金ないってのに)、魂を売ったような感じ。それと、なんだこれ、敗北感? もうイヤだ、どう転んでも気分よくない! 正月、うっとうしい!