法事に行ってきた。昨年12月に亡くなった伯母の一周忌。ぼくは、次男・東(ぼくのオトンです)の家の代表みたいなものだ。場所は岡山・番町にある伊勢神社。といっても神社でやるわけじゃなくって、社務所と家屋がくっついた家のなか。これ、下津井にある赤星の本家とよく似ている。つまり、亡くなった伯母は神主の家から神主の家に嫁いでいたわけである。
朝からの法事を終えると、岡山理科大のすぐ近くにある墓地へ行ってお墓参り。そのシチュエーションがスゴかった。山を半分削った急な斜面にお墓がギッシリ。伯母のお墓はそのかなり上の方にあったので、岡山の街がごっそり見渡せるのである。吹きすさぶ風もまたスゴい。体感温度は完全に零下マイナス。この寒さと、傾斜の激しい、日本にはありえないような墓地の環境と儀式っぽい感じ。ぼくは10年ほど前に行った真冬のブータンを思い出していた。
その後は後楽園の中にある料亭で食事会。まさに絵に描いたような法事イベントだ。帰りにまた神社に寄ってコーヒーをご馳走になり、さて児島に戻るかという段で、下津井の伯父と叔母に「乗せて帰りましょうか?」と思わず口走ってしまった。言った瞬間に「ヤバっ!」。それは言っちゃいけないことだった。
問題は東の兄にあたるこの伯父である。下津井の祇園神社で宮司をやっているこの伯父は、とにかく話が好きなのだ。たんなる話好きの類じゃない。まったく同じ調子でとうとうと語る、語りつづける。それは、ある種、拷問に近いのである。
「ユタちゃんも大変じゃろう?」
叔母が車の後ろからぼくの仕事をねぎらって声をかける。
「そうですね」
ぼくの返事はこれでおしまい。その後に話をつづけるのはまったくやぶさかではないのであるが、そこで間髪いれず、伯父の言葉が始まる。
「へえでも、カタいといえば公務員じゃわいや」
それから公務員がいかに安定しているかという話が、よくぞそこまで膨らませるなというぐらい続く。しかし、公務員という職がいかにカタいかなんて話がそうそう続くはずがない。
「それでも、中国という国はスゴい国じゃわいや」
そうやって、話が次から次へと転換していく。伯父が話を転換する際の接続詞「へえでも」とか「それでも」というのはまったく意味をなしていない。靖国問題を話していたかと思えば、「それでも」と言っておいて、四国の焼き鳥の話に転換したりするのである。そして四国の焼き鳥の話は日本の不況の話になり、日本の不況の話は下津井の人たちの性格分析に、そして下津井の人たちの性格分析が自分たちの子供(ぼくのいとこです)の話へと移っていく。
これ、しばらくやられるとどうなるかというと、ぼくの場合は顔から血の気がひいてきて、最後には吐き気をもよおす。大げさだと思うかもしれないが、これ、事実なのである。
岡山から下津井まで、途中に渋滞もあって、たっぷり1時間半かかった。伯父と叔母を車から下ろしたときは、あまりの吐き気をから咳でおさえていた。
そうは言っても、ぼくはこの伯父が結構好きだったりする。かなりの変人なのだが、その変人ぶりが嫌いじゃないのだ(今日も喪服に黒のベレー帽というスタイルでした)。ただ、ぼくが伯父の話を長く聞けない体質だというだけなのだ。