初めて広告を作ったのは、青山の編集プロダクションに就職して2カ月ぐらいのときだった。千葉県の館山にあるウインドサーフィンのショップの、雑誌用の広告だった。スペースはモノクロで縦3分の1。かなり縦長の広告だった。
その広告はぼくが自分で営業してとってきたものだった。店主の方は、広告の内容をぼくにまかせてくれるという。23歳の若かりし頃のぼくは、若いだけに頭を悩ませることはまったくなかった。当時、ウインドサーフィンの専門誌のモノクロ広告は、ほとんどが商品をズラリと並べて価格を表記してという、よくあるショップの広告の体裁をとっていたのだが、「まかせる」と言ってくれたのだから好きなように作ろうと。で、できあがったのが、コピーを1本入れただけのまことシンプルな広告。デザインまですべてぼくが見よう見真似でこなした(当時はパソコンなんてないから、写植文字を写植屋さんに打ってもらって、版下とよばれる厚紙の版に糊で切り張りして原寸の原版を作ってました)。
ぼくが手がけた広告の第一号。ショップの店主はえらく気に入ってくれて、わざわざ東京に出てきて新宿で串揚げをご馳走してくれた。ちなみにそのときのコピーは、あまりにもピュアな感じで、いまでは恥ずかしくて到底書けない、だからここでも教えない。
最近、ヒトミちゃんが7時ぐらいに帰った後、深夜までずっとひとりでヒトミちゃんのパソコンをイジイジといじってる。ぼくにとっての鬼門、アドビのイラストレーターをわがものにするためである。自分のmac bookがあるからそれを使えばいいと思うかもしれないが、ただでさえ狭いノートブックのモニターに「パレット」と呼ばれる窓があまりにもたくさんあちこちにあるので、うっとうしくってやってられない。ゲートボールをやっている老人ホームの狭い庭でサッカーをやってるみたいな感じなのである。
昨晩のことだ。ついにその瞬間がやってきた。それまでずっと他人の嫁・今日子(便宜上こう呼ぶことにします)とふたりで一緒に暮らしているような感覚でイラストレーターを操作していたのだが、一瞬、今日子の気持ちがぼくに傾いていると肌で感じたのである。ぼくの気持ちはいわずもがな。かみあうことがなかったふたりの気持ちが、ついにひとつになった瞬間だった。しかし、今日子は結構身持ちのいい嫁であるからして、自身の気持ちに気づくやいなや、またいつものよそよそしさをまとい、ぼくにつれない今日子に戻っていくのだった。でも、それでもいいのだ。光は見えた。今晩も待ってろよ、今日子。