新・不定点観測

赤星豊

vol.374 ボンドなら

 久々の、本当に久々のTSUTAYAである。2本にとどめた。1本は香港映画の『インファナル・ディパーティッド』。「こんなタイトルありかよ?」と思わず手にとって、そのときは9割以上の確率で棚に戻すはずだったのだが、出演者にフランシス・ンのクレジットを見つけ、そのまま借りることにした。数年前からンはかなりきてる。韓国ならソン・ガンホ、香港なら絶対このフランシス・ンだ。いいよ、ンは。なんせ、ンだからね。
 もう1本は、遅まきながらダニエル・クレイグの『007 カジノ・ロワイヤル』。水曜の夜にこっちを観た。ちょっとビックリした。ジェームズ・ボンドが本物のハードボイルドになっているのだ。甘っちょろいところが全然ない。アクションもリアルで、一発殴ったからといって敵は気を失ってくれない。畢竟、あのボンドが生傷だらけになっていく。そしてなにより、ダニエル・クレイグがいい。ンはもとより、クレイグもなかなかのもの。彼のボンドなら、ぼくはかなり好きになれそうだ。


 明けて木曜日。朝から岡山に出る予定だった。借金の支払い延滞の手続きである。KJの創刊後、貯金もなにもかも使い果たしてスッカラカンになったぼくは、公的機関と信用金庫の2カ所からほぼ同時にまとまった額のお金を借りた。信用金庫からの借金は毎月の返済だが、一方の公的機関の方は1年期限で、基本的には1年後に全額返済しなければならない。そうはいっても、ぼくみたいにまったく返せないどうしようもない人たちは少なからずいるわけで、そういった人たちのために、「あと1年間待ちますよ」という延滞の手続きができる(手続き時に1年分の利子を支払う)。その延滞手続きが、この3年、夏の恒例行事となっているのだった。ジェームズ・ボンドなら、恒例行事にはしないだろう。といういか、まず間違いなく借金もしない。
「返済期日到来のご案内」の葉書は1カ月ほど前にもらっていた。もちろん今夏も延滞、考えるまでもない。車で岡山に出かける前に、一応、葉書に書かれている内容をチェックした。手続きに必要なものとして、「実印および印鑑証明書1通」とあった。ハンコはおぼえがあるが、印鑑証明書なんてこれまでもって行ってたか? まったく憶えがない。ともあれ岡山に出る途中で児島市役所に行った。申請書類に書き込んでいたら、50代の女性がのぞきこむようにして、「何がご必要でしょうか?」
「うん? 印鑑証明書」
「印鑑登録カードはおもちですか?」
「いいえ」
「カードがなければお作りできませんが」
「それって、ぼくも持ってますか?」
「……はあ、おもちのはずですが」
 ジェームズ・ボンドならこんなどんくさいことは絶対にしない。早速、家に戻って、カードを納めたファイルをぺらぺらめくっていたら、あった。2度目の市役所。申請書のデスクのところに、さっきの女性がいた。ぼくは得意げにカードを差し出した。
「これ、法人向けのカードですね」
「ホウジン?」
「会社印の登録証明書を出すカードです」
「な……」
 またまた家に帰ってファイルをめくる。朝からいったい、おれはなにをやってるんだ? だいぶん、イヤ気がさしてきていた。青空を見て、憎しみが増していくような。
 本日3度目の市役所、ようやく印鑑証明書を手にすることができた。印鑑証明書を手にすることができたが、そこから1時間車を飛ばして岡山まで行く気力はとても残っていなかった。ジェームズ・ボンドなら、ぼくが印鑑証明書を手にするまでの時間で、岡山まで行って手続きを済ませ、なおかつ戻ってきて、いまごろは渋川のビーチでカクテルなんか飲んでいるかもしれない。そうやって「ボンドなら」と考えていくと、ジェームズ・ボンドって結構イヤなヤツなのである。