次号vol.9の台割がほぼ決定した。入稿・校了のおおまかなスケジュールも確認、7月に入っていよいよ戦闘モードに突入だ。
戦闘モードに突入した翌朝、ぼくは事務所で作業にいそしんでいた。額装された写真3点を美術館のように美しく事務所の壁に飾る───これが今朝のミッションである。自慢じゃないが、この手の仕事はまったくの不得手。元来いい加減な性格だから、直線が出ない、間隔がまちまち、ろくなことがない。でも、誰もやろうとしないから、ついにぼくが立ち上がったのだった。1時間半かかった。これまでやったことがないような、我ながら丁寧な仕事ぶりだった。A4の紙を壁に見立て、長方形の四角を3つ描く。あらかじめ測っておいた寸法の数字を書き込んで、電卓を使って等間隔の数値を導き出す。そして壁に鉛筆でしるしをつけ、しるしのところに額の端がくるようにフックを壁に打ち込んでいく。
出来は悪くないんじゃないかと思う。直線は出ているし、間隔もほぼ同じ。しかし、なぜにこんなに手のこんだことをやったかというと、写真が写真だからである。この3枚の写真、この春に大原美術館で展示していた森山大道のオリジナルプリントなのだ。
5月上旬のとある日、森山さんから電話があった。
「あのね、美術館にあるぼくの写真、送り返さなくっていいから」
美術館にある写真とは、4月中旬からスターとした大原美術館の企画展「Kurashiki Photography」で展示中の森山さんの写真のこと。つまり、展示が終わっても、森山さんに返却しないでいいってことである。
「じゃあどうすれば?」
「あれ、赤星くんにあげるから」
「は?」
「あの写真、全部赤星くんにあげる。そこの事務所に飾るなり、置いとくなり、好きなようにしていいから」
「じゃあ、事務所に飾って、見に来た人からお金をとります」
「赤星くん、そんなことしないでしょ?」
「はい、しません」
森山さんという人はそんな人なのである。そんな人というのはどんな人なのかというと、一言で言えば、執着がない。
しかし、執着のなさでいえば、ぼくも結構なもの。森山さんから電話をもらって1時間ぐらいは、「あの写真を事務所に飾れる!」と手放しで喜んでいたが、2時間後には大原美術館にそっくり寄贈しようと決めていた。うちにあったって見る人は限られている。だったら、ひとりでも多くの人に見てもらえる美術館にあった方が、写真も本望なのではないかと。
それから数日後。カワベくんと会ったときに、この森山さんの写真の一件を話した。するとこのオトコ、ぼくが考えもしなかったことを口にした。
「でも赤星さん、森山さんはその写真を赤星さんにもらってほしかったんじゃないですか?」
カワベくんというのは、たまに言うことがジイさんみたいだ。ぼくより年齢がひと回り以上若いのに、なぜにこんなに大局的なものの見方ができるのだ? 彼のこの一言で、ぼくは美術館に寄贈するという決意を見事に翻したのだった。
ぼくのデスクの横にある3枚の写真。その一枚一枚に、森山さんと水島を撮影して回った思い出がある。小雨に濡れながらシャッターを切る森山さん、船の上をカメラを手にひょいひょいと渡り歩いていた森山さん、ぼくが運転する車の助手席で「ピントが合わない」と嘆いていた森山さん───本当に魅力的な人だった。執着のない、自由なところも含めて。って、森山さんが死んだみたいな言い方だが、かなり高い確率で、森山さんは現在も東京のどこかの路地で写真を撮っている。(いただいた写真は全10点。壁に飾った3点は随時中身を交換していく予定です)