新・不定点観測

赤星豊

vol.351 ホウレンソウ

 「ホウ・レン・ソウ」という言葉がある。初めて聞いたのは20年ぐらい前だったか、会社や仕事の基本とされていて、報告・連絡・相談のことをいう。最近はまったく耳にすることがない。たぶん、当時の流行語みたいなものだったんだろう。
 先週のこと、岡山でご飯を食べているときに携帯が鳴った。ヒトミちゃんからだった。一度ぼくから電話して不在だったので、通知を見てぼくにかけてきたのだった。
「今日も帰りが遅くなるから、適当な時間に帰りなさい」
「はい」
 用事はそれだけ。普段はそこで切る。でも、そのときはあまりの無機質さ、淡白さがヒトミちゃんに悪いと思ったのか、いきおい「今日はどんな仕事してたの?」と聞いた。その問いにヒトミちゃんは淡々と答える。答え終わると、妙な空気が流れた。「で、なにか?」みたいな雰囲気。そこでぼくの照れ隠しのでまかせが炸裂した。
「ヒトミちゃん、ホウレンソウって知ってる?」
「ホウレンソウって、あのホウレンソウですか?」
「いや、違うのよ。ホウレンソウのホウは報告、レンは連絡、ソウは相談。略して、ホウ・レン・ソウ、わかる? これアジアンビーハイブの基本だから」
 そんなの全然基本じゃないって。というか、逆にそんなのいちいちされるとうっとうしいし。いったいオレ、なに言っとるんだ? ぼくは電話を切ったあと、頭を抱えた。


 『サムライソルジャー』5巻がそろそろ発行されている頃だ。これ、どんなマンガかというと、渋谷を舞台にしたチーマーたちの抗争を描いたもの。ヒトミちゃんもぼくが貸した1~4巻を読んでいて、新刊が出るのをえらく楽しみにしているご様子で。
「よし、『サムライソルジャー』、買いに行ってくるわ」
 白昼堂々、マンガを買いに行くと社長がスタッフに宣言する。これぞアジアンビーハイブの社風である。しかし、一抹の不安がある。児島の書店に新刊が入っているのか。ぼくは児島で最大のM書店に電話を入れた。サムライソルジャーの第5巻、入ってますか?
「すいません、うちでは入れてないようです」
 児島で次に大きい書店Aに間髪入れず電話を入れる。
「すいません、売り切れのようです」
 さすがにヒトミちゃんが聞いているそばで、「『サムライソルジャー』ありますか?」なんて電話で何度も聞くのが恥ずかしくなり、ヒトミちゃんに3本目の電話をお願いした。結果はやっぱりナシ。児島で『サムライソルジャー』が手に入らないということが明白に。こうなりゃとことんやってやる。倉敷のM書店に電話した。
「入ってますよ」
 なぬ、さすがは倉敷。でも、車で30分かけてマンガをピックするのか。
「おとりおき、されますか?」
 10代の子供が読むようなマンガをとりおいてもらうということにいささかの恥ずかしさがあった。
「とりおき、してた方がいいですかね?」
「そうですね、あと5冊ですから」
「……じゃあ、お願いします」
「ではお名前と連絡先をお願いします」
 この段階では、もう恥ずかしいを通り越している。ぼくは観念したまな板の上の鯉の気持ちで、名前と電話番号を告げた。そんなぼくを見て、ヒトミちゃんがきゃっきゃっと声に出して笑っていた。
「名前とか、言うんですね」
「言うよ、だって聞かれたんだから」
「わたし、マンガをとりおきしてもらったことなんてないですゥ!」
「オレだってないよ!」
 うちの社長はアホ? ぐらいに思われたかもしれない。でも、まあホウレンソウを律儀に実行されるより、笑われた方がマシだ。ちなみに、ヒトミちゃんは相談の「ソウ」がなんだったのか忘れていて、しばらく掃除のことだと思い込んでいたらしい。掃除ならやってもらって全然いいんだけどね。