新・不定点観測

赤星豊

vol.141 メディアの品格

 亀田親子への処分が発表された昨日、ぼくはお昼のワイドショーを見ていた。どの番組もトップでこの話題を扱っていた。TBSもしかりだ。ほかの番組と同じように、あの試合でどんな反則があったかを紹介し、親子に下されるであろう処分を予測し、しかも対戦相手だった内藤と回線を結んでライブで出演までさせていた。開いた口がふさがらないとはこのことだ。亀田親子の傍若無人な暴走の責任はメディアにもある。なかでも亀田兄弟の試合を放映してきたTBSは、頭に「特」のつくA級戦犯じゃないのか? ぼくが見たその日のTBSの映像は、被告席にいておかしくない犯人が、その場にいないどころか、検事の隣にいて共犯者を追求しているような図だった。これはあまりにおかしくないか?

 
 いつかこのコラムで、倉敷で創刊したタウン誌を取り上げた。その創刊号の冒頭、倉敷市長が登場し、ご立派な顔写真付きで面白くもないあいさつ文を掲載していた。その市長の行為の品のなさは仕方ない。まあ、しょせんそんな市長なのだし、倉敷市民が選んだのだから。でも、お金をもらっていたとしても(どうもその可能性は薄いように見受けられた)、「はい、そうですか」とあいさつ文を掲載したメディアはどうかと思う。メディアである以上、そんな愚かな申し出には「ノー」を突きつけるだけの覚悟と品格が必要なのだ───ざっとこんな具合だったと思う。


 ぼくは亀田兄弟の試合をテレビで見たことがない。江頭2:50は普通に見ることができても、亀田親子の顔は正直、目をそむけたくなる。品のない人間を見るのは不快だからだ。でも、彼らも本来はあそこまで下品な人間じゃなかったはずだ。彼らの底なしの品のなさは、メディアによって育てられたと思う。対戦相手を挑発するパフォーマンスも、メディアが取り上げなければあそこまでひどくはならなかった。「そんな行為は愚かだ」と伝えることができていれば、ひいては彼らも処分されることはなかったはずだ。
 しかし、現実は違った。今日のワイドショーでは、亀田親子が斧で薪を割ったり、鶏を追いかけている過去の映像が流れていた。アホくさい絵だし、さっぱり意味がわからなかった。それでもテレビはのこのこと追いかけて映像を撮り、流していた。メディアが彼らをヒーローとして作り上げたのだ。そして彼らの言動を肯定し、助長した。そんな日本のメディアの品格をぼくは大いに疑う。


 TBSはテレビ東京に次いで好きなテレビ局だった。これまでもいろいろと問題はあったが、依然、ぼくのなかでは信頼度がもっとも高かった。が、さすがに今回のことでその信頼も地に落ちた。筑紫さんが戻ってきてくれて嬉しいけど、『ニュース23』が始まる頃には寝るとしよう。そんなこと決めるまでもなく、最近は古館さんの顔を見ながらソファで眠っていることが多いのだけど……。