新・不定点観測

赤星豊

vol.109 或る映画監督の死

 東京でのライター生活で実にいろんな人たちと会った。そのなかには、ぼくが会いたいと思っていた人もたくさんいる。何かの企画にこじつけて自分が会いたい人に会えるという、これはまあメディアの特権みたいなものだ。でも、取材者という手前、サインをもらったことがない。その場でサインをもらっているインタビュアーもたくさんいるんだけど、ぼくは「サインください」というのがどうも言えなかった。実際、サインなんかどうでもいいのだ。自分の部屋にサインを飾っていたからって気分がよくなるわけじゃない。それでも、自分からお願いして一緒に写真を撮ってもらったことが一度だけある。エドワード・ヤン。ホウ・シャオシェンと並んで、台湾ニューウェーブの旗手とされた映画監督だ。この写真は封筒に入れて大切にとってある。昨晩、何年かぶりにその写真を封筒から出した。ぼくの肩には手を回して、人のよさそうな笑顔をこちらに向けている。その写真を見ながら泣きそうになった。昨日、新聞に小さく彼の訃報が載っていた。享年59歳。


 エドワード・ヤンの映画を初めて観たのは、いまから15年ほど前、新宿の映画館だった。『クーリンチェ少年殺人事件』、前年の東京国際映画祭で話題になった作品だった。平日の昼間とあってか、ほとんどお客さんはいなかった。映画は3時間あった。1時間も見たところで、ぼくは確信した。「この映画は生涯ぼくのベストワンになる」。そのときの確信は間違いじゃなかった。いまもぼくは「一番好きな映画は?」とたずねられたら迷うことなくこの映画を挙げる。翌週、もう一度同じ映画館に足を運んだ。そのとき見たのは、途中に休憩が入る4時間版だった。最初に見たときの感動が褪せるどころか、それ以上の感動にクラクラした。それからの数カ月、ぼくはエドワード・ヤンの映画探しに夢中になった。当時の配給会社に未公開作品のビデオを見せてもらったり、LD化しようとパイオニアが買っていた『恐怖分子』(『クーリンチェ少年殺人事件』の前の作品)のビデオをパイオニアにお願いに行って貸してもらったり。あれだけ熱をもって映画で動いたのは、後にも先にもあのときだけだ。結局、エドワード・ヤンとは二度会うことができた。二度目は通訳もカメラマンもなし。部屋にふたりっきりで1時間以上話すことができた。最高の気分だった。インタビューが終わったとき、「もうこれで誰とも会えなくていい。ライターを廃業してもいい」と思った。


 エドワード・ヤンの死は、ジョン・レノンが死んだときと同じぐらい、いやそれ以上にショックだった。しばらく頭が真っ白の状態だった。いまもこの文章を書きながら、いかに大切なものを失ったかを痛感している。もうエドワード・ヤンの新作を見ることはないのだ。追悼の上映会が岡山であるはずもないだろう。東京だってあやしいもんだ。そうだ、このvol.5のドタバタが終わったら追悼フェスでもやろう。でも、人、来ないだろうなあ。スゴい人なんだけどなあ……。