新・不定点観測

赤星豊

vol.87 マルテの手記

 オトンの持病が出た。メヌエル症候群という。オトンが言うのには、見えるものがグルグル回るので目を開けておれず、頻繁に強烈な吐き気に襲われるのだとか。発作はだいたい2日ほどでおさまるが、その2日間はほとんど何もできず、ただただ目と閉じて横になっているしかない。この数年は年に1~2回この発作に見舞われている。命に別状はないというものの、やっかいな病気であることは間違いない。とくにオカンを在宅介護している我が家では。
 夕食前の我が家は、ぼくがシェフ、オトンがホール係、オカンが客という図になっている。ぼくが料理している間、オトンは布巾でお膳を拭き、急須にお茶を入れ、茶碗や箸をお膳に並べる。そして、ぼくの「はい、あがったよ!」の合図で料理を居間に運ぶ。が、今夜はホール係がグロッキー状態。必然的にぼくがホールも務めなきゃいけない。さすがにあわただしい。普段はオトンに任せているから、余計に、小さなレストランをひとりで切り盛りしているオーナーシェフにでもなった気分である。
 今夜のおかずは高菜の煮物、豚のヒレ肉とジャガイモとアスパラの炒め物、あさりの味噌汁。オトンはちょっと調子がよくなったのか、味噌汁だけでも食べると言った。3人がこたつに入って向かい合い、「いただきます」を言った途端、オカンがぼくにしつこいぐらいにねぎらいの言葉を口にした。ぼくは「たいしたことねえわ」とぶっきらぼうに答える。
「ユタカにはホンマに迷惑かけてしもうて」と言うオカンの口元にオトンがジャガイモを入れようとした。するとオカン、犬のウンコでも突きつけられたかのような顔をして、「それ、いらん」。出た、これだ。言っていることとやることが完全にバラバラ。
「毎日苦労して献立を考えてるんだよ。カラダにいいもん作ろうとしてるんだよ。ちょっとでもオレに迷惑かけていると思うんなら、黙って食わんかい、オカン!」
 と心のなかで叫びながら、ぼくはオカンの顔を見ず、黙ってご飯を口に運ぶ。
 オトンは調子に乗ってご飯にまで手をつけた。それがいけなかった。夕食が終わって、ぼくが洗い物をしている間、トイレでずっと吐きまくっていた。口から腸でも出そうとしているような、人間のものとは思えないすさまじい声が家のなかに響き渡る。洗い物をしているぼくの後ろでは、オカンが左手だけで片づけを手伝おうとして、こたつに脚をぶつけたり箸を落としたり食器をひっくり返したりして、ドシャンガシャンとかまびすしい。ぼくはもう振り向きもしない。音だけで十分に地獄絵図なのだ。
 洗い物をしながら考えた。もしもオトンが違う病気で、オカンの介護がまったくできない状態だったら、ぼくは倉敷に帰ってきただろうか。もしかしたら、帰らなかったかもしれない。ふたりで病院か施設にでも行ってもらって、ぼくは東京でこれまでのように仕事をしていたかもしれない。ときどきオトンとオカンのことを思い出して、罪悪感にさいなまれることもあるが、それは1時間と続かず、2時間後にはすっかり忘れて、家でヒュー・グラントが出ているDVDを見ていたり、友人と中目黒でタイ料理を食べていたりするかもしれない。
 こうやってあらためて書くとえらく薄情のように映るが、可能性としてはおおいにありえるし、ぼくには逆にそっちの方がリアリティがある。リルケの『マルテの手記』にあったこんなエピソードを思い出す。誰からも慕われた村の長老が、死を目前にして、夜中にえもいわれぬ不快な叫び声をあげるようなった。村中に響き渡るその声は何日も続き、村人は不眠に陥った。数週間も続く頃には、長老の死を誰もが願うようになっていた。
 人間というのは薄情である。もちろんぼくも例外じゃない。