新・不定点観測

赤星豊

不定点観測:vol.85 倉敷(4)

085.jpg 大学に入学したときのこと。奨学金の申請のためにと、うちのオトンの収入証明みたいな証書を送ってもらった。そこにあった年収の額を見てちょっと驚いた。そのあまりの低さゆえ、「特別奨学金」という最高額の奨学金をもらえることになったほど。うちの家計にはからくりがあって、実はオカンがオトンの2倍ぐらいの給料をもらっていたらしい(翌年にはこのからくりが大学にバレて、奨学金が減額になりました)。だからぼくを東京の私大に送り出すこともできたわけなんだけど、それでも授業料は安くないし、東京で生活できるだけの仕送りもしなきゃいけないしで、相当に苦しかっただろうと思う。親としては当然なんだろうか。ぼくには子供がいないのでわからない。当然でもないような気もする。
 
 5月3日、水曜日。初めてオトンと話した。一昨年にオカンが脳梗塞をして以来、誰がどのようにオカンと家の面倒をみるかという話をしたことがなかった。誰に相談するでもなく、ぼくは倉敷に戻り、話し合いの類も一切ないままぼくが実家の料理番となった。ぼくは「それも仕方ない」と割り切ってたんだけど、それでもわだかまってる部分もあったようだ。最近のあまりのオカンの食わず嫌いも手伝って、とうとう今日の昼食どきに噴出してしまった。「オトンはオカンを甘やかしすぎじゃ。なんでも言うことききょうったら、よけいにわがままになるんじゃけん」云々。この話をきっかけに、オトンも言いたいことをぼくに言った。洗いものをするぼくの横に突っ立って。
 ヘルパーに来てもらうというぼくの意見はすぐに却下された。以前、来てもらったヘルパーさんの料理が不味くて食べられなかったというのがその理由だ。そんなことより、オトンの最大の懸案はぼくの経済状況らしい。「まず生活できるようにしろ」と言う。そんなことは言われなくてもわかってるよ、オトン。話はうちのアニキにまで及んだ。オトンが言うには、ぼくが家にいると、ぼくに悪いと思ってか安心してなのか、アニキが家にほとんど来ないという。「前に来てから今日で22日になる」とはっきり言った。孫が来る機会も減ってるのかもしれない。それにしたって、そんなの数えるなよ。

 ぼくの気分とは裏腹に、児島の今日の空は晴れ渡っていた。昼過ぎにKJ編集室に行くと、お休みのはずの1階のカフェが店を開けている。「あんまり天気がいいので」と西原クン。なるほど、大きな窓からは太陽が降り注いでいる。2階に上がって窓から青い海を見ていると、不思議と気分は落ち着いていく。そういえば昔からそうだった。海はぼくの鎮静剤のようだった。
 今日、オトンと話しても、なんの解決もなかった。オカンのわがままは到底なおりそうもない。施設に入れることもない。ぼくが生活のために東京に帰る? おやじは帰れとは言わない。言われたってぼくは帰らないだろう。アニキの顔を次に見るのはいつのことやら。でも、これを機会にオトンには言いたいことをわりと素直に言えるような気がする。いびつでどうしようもない我が家の再生の第一歩、そうなってくれたらいいんだけどね。倉敷の滞在日数、10日間経過。