新・不定点観測

赤星豊

不定点観測:vol.80 倉敷(2)

080.jpg 今週こんなことがあった。昼間、実家の部屋でパソコンに向かっていると、階段をゆっくり、ゆっくりと上がってくる足音が聞こえた。オトンがオカンを連れて上がってきてるんだろうと思って、知らん顔して机で仕事をしていた。足音がやんで、上がり框のところに目をやった。引き戸が開いてオトンが顔を出した。意味不明の笑顔を浮かべている。
「おお、連れてきたで」
 オトンが「連れてきた」相手が顔をのぞかせた、オトンの足もとから。それはオカンじゃなく、真っ黒な猫だった(オカンだったら怖いよ、『呪怨』みたいで)。
 ちょっと信じられない光景だった。その猫のことだったらよく知っている。一昨年に倉敷に戻って以来、うちの隣の空き地のくさむらでたまに見かけていた。目が合うとぴたりと動きを止めて、しばらくじっとこちらを見ているんだけど、ぼくが少しでも動くとさっと逃げ去っていく。人には到底近づきそうもない野良猫だった。その野良のなかの野良みらいなヤツが、目の前で「フンニャア」みたいな甘えた声を出してオトンの脚にカラダをこすりつけているのだ。
 その光景を信じがたいと感じたのにはもうひとつ理由がある。話はぼくの子供時代にさかのぼる。ぼくはもの心ついた頃から動物が大好きだった。人間よりも動物の方が好きと公言するぐらいに好きだったから、捨て猫の類は放っておけるはずがなく、見つけては家に連れて帰った。何匹飼ったかわからない。でも、それだけ拾ってきても、不思議と猫を2匹飼っているという時期は皆無だった(我が家で飼った猫はすべからく「チーコ」という名前でした)。短いと半年、長くても2年ぐらいでいなくなってしまうのだ。さすがに小学校も3、4年になるとおかしいと感じ始めていた。そして、ある日、オカンの口から真実を聞いた。
「あれはな、お父さんが捨てに行ってるんよ」
 猫を拾ってきてはオトンが捨てる、そんなイタチごっこを何年もの間続けていたというわけだ。その頃なんとなく気づいていた。オトンはあまり動物が好きじゃない、とくに猫は嫌いみたいだと。
 長くなってしまったが、まあそんなわけで、慣れようがないという思い込んでた猫をオトンが連れているという状況が信じられなかった。ここまで慣らすには、相当な忍耐を要したことは想像に難くない。なんでオトンがそんなことをしたのか、聞けばいいんだけど聞かなかったから、いまのぼくにはものすごく謎だ。

 4月21日、金曜日。仕事で外に出るのが億劫になった。それぐらい、KJの新しい編集室は心地いい。昼間の明るい部屋、贅沢な椅子に座ってアールグレイを飲みながら本を読む。これ、最高だ。仕事をしようとして机に向かうと、パソコンのモニターのすぐ後ろにある窓から海が見渡せる。ついつい我を忘れてぼおっと見入ってしまう。間接照明とキャンドルを炊いた夜の部屋。デヴィッド・シルビアンやマッシヴ・アタック、たまにボブ・ジェームズのピアノを聴いたりするんだけど、ときどき音楽を止めて窓を開け、外から聞こえてくる波の音に耳をすませる。至福ってこれのことね。この編集室を作ってひとつ悟った。心地よすぎる仕事部屋では仕事ができません───。倉敷の滞在日数、7日間経過。