新・不定点観測

赤星豊

vol.79 500円玉貯金でアメリカに行く

 これまで貯金らしい貯金をしたことがない。あればあるだけ使う。主義でもなんでもなくって、結果的にいつもゼロになるのだ。そんな生活を省みることもまったくなかったが、ある程度の貯金はやっぱり必要だと、そう実感する出来事が5年ほど前にあった。
 その年の夏、ひとりでソウルに遊びに行った。元来、辛いものが大好きで、毎日ヒーヒー言いながら辛いものを食べまくった。さすがに胃腸に負担をかけたのか、帰国後すぐに下痢をした。ひどい下痢だった。下痢が治ったと思ったら、お尻に激痛が走るようになった。10日とガマンできず、病院に行った。案の定、痔と診断された。「これぐらいなら手術せずに薬でごまかす手もあります」と言われたが、ぼくは迷わず「手術してほしい」と言った。そこは東京でも知られた名医が経営する個人医院で、どういう理由か知らないが、手術に保険がきかないといわれた。お金のことなんてどうでもよかった。ぼくはその日のうちに手術日を予約した。いまでもよくおぼえている。退院して数日後、中目黒の消費者金融に行き、その足で病院に行って支払いをすませた。30万円を超える痔の手術代をそっくり借金でまかなったのだ。そのときさすがに思った。「やっぱ貯金だ」。それからである。ぼくの500円玉貯金が始まったのは(このときたしか39歳です)。
 たぶん、普通の人は貯金通帳の額を見て同じ気持ちになるのだろう。ぼくはクッキーかなにかの赤い缶に貯まっていく500円玉を見て、えもいわれぬ感慨にひたっていた。しかし、である。8万円ぐらい貯まったときには、「これ、何に使おうか?」と考えるようになっていた。有事のときのための貯金という本来の目的は、いつの間にかすりかわっていたのである。10万円も貯まったときには、「これでアメリカに遊びに行こう」とすでに決めていた。そして翌年の夏、本当にアメリカに行った。1カ月間も。帰ったときはもちろん、スッカラカンだ。しかも、たてかえてやったオグの飛行機代は、「ないものはない」という理由で一銭も返ってこなかった(オグにはその分、KJの創刊号で原稿をたっぷり書かせました)。

 この2週間で大きな買い物をふたつした。ひとつはノートパソコン、もうひとつは一眼レフのデジタルカメラ。衝動買いじゃなくって周到に考えての買い物である。だが、周到に考えたのは使い道で、支払いのことはあまりというか、まったく考えていない。たぶん春先はしのげるが、梅雨の頃には生活費の捻出に苦労しそうな気配濃厚である。それでも、この買い物をした自分としなかった自分を比べると、やっぱり買い物をした自分の方が一段上にいるように思う。アメリカに行った自分が、行かなかった自分よりも上にいるように。───20、30万円のことで、この手の「オレを肯定してちょうだい!」的な文章をまわりくどく書くことはないのだ。つまりは、貯金しておけばいいのだ。100万円、いや50万円でいい。40歳を過ぎた男に50万円なんて、笑っちゃうよ、全然たいしたことないじゃないか。そう、オレは貯金することにした。人生、二度目の500円玉貯金。これからぼくに支払いが生じた人は、500円玉で払ってもらってもいいよ。