新・不定点観測

赤星豊

vol.77 バリウム、こわい。

 人生初の人間ドッグに行ってきた。朝8時、病院に到着。どこかの会社が団体検診を申し込んでいたみたいで、50〜60歳代のオジサンたちがいっぱいだ。そこに混じって受付をすませ、上下紺色の、みたこともないへんてこなデザインのスウェットに着替える。尿検査、血液検査、身体測定、血圧の測定、エコー診断、聴力・視力検査と、ベルトコンベア式にオジサンたちとともに流されていく。2時間ほどして、ようやくX線検査にたどりついた。これを終えたら、あとはオプションで申し込んでいたMRI検査を受けておしまいだ。
 廊下で待っていると、唇が真っ白になったオジサンが部屋から出てきた。バリウムがくっついているのだ。いい歳こいたオッサンにあの姿はみっともない。ぼくが出てくるときにはちゃんと唇を拭ってからにしよう、なんて思いながらX線ルームのドアをくぐった。
 早速、例のバリウムを飲まされるかと思いきや、小さなコップに入った粉薬と水をのまされた。「薬を飲む要領で飲んでください」と林家木久蔵似のレントゲン技師。「それからバリウムを一口飲んで。ゲップはしないでくださいね」、そう言いながらガラス窓で囲った部屋に入っていった。それからマイクを通じて、「じゃあ倒しますよ」。背中をくっつけていた板が大げさな音とともに倒れ始めた。ぼくは三半規管があまり強くない。徐々に後ろ向けに倒れていくのは気持ちいいもんじゃない。しかもさっきの粉薬のせいで胃が急激に膨らんで、いまにもゲップが出そうだ。「はい、それじゃ行きますよ。右回りに回ってください」。───右回り? 仰向けに寝た状態で「右回り」というのはどっちに回ればいいんだ? しかもどうカラダを回せばいいのだ? 思わずカラダを起こして木久蔵の方を見ようとすると「あ、そのままそのまま、はい右回りで」。よくわからないまま肩を浮かしてカラダを回そうとすると「あ、反対、反対」。ということは左肩をあげてこう回れば……「はい、それからカラダをグルっと回して」。グルっというのはなんだ? もうどうすりゃいいのだ? そのときうつぶせになって体重がかかったのだろう、ゲップが出てしまった。「ああ、やった」、木久蔵が言った。ぼくがおもらしでもしたみたいな言い方だ。すぐに横になっていた板がまっすぐに起こされた。もうぼくの平衡感覚は失われている。混乱したうえに混乱が重なった状態のぼくに、木久蔵は同じ薬と水をもう一度差し出した。「レントゲンの検査、初めてですか?」。うるさいよ、木久蔵。「さあ、バリウムも全部飲んで」。もう、やけだ。言われたままバリウムをゴクゴクと飲んでたら、びしゃっとむせて口からあふれさせてしまった。紺色のスウェットにバリウムが散った。口のまわりも顎のあたりもバリウムもびしょびしょ。それでも何もなかったように木久蔵はまた板を倒し始めた。すぐ目の前にあったティッシュをとろうとすると、「ああ、いま動かないで」。それからもベッドは動きまくり、右も左もわからなくなっているぼくに、あっち向け、こっち向け、そっち向け。こりゃ拷問だ。宇宙船の真空状態で足をバタバタさせてたカエルの映像が頭をよぎる。
 終わったときは放心状態に近かった。つい15分前は、「ちゃんと口を拭って」なんて考えていたのに、実際部屋から出るときは顔半分が真っ白、おまけに服まで汚していた。その後のMRIはもうぐったりだった。ガゴガゴと耳元で工事現場みたいな騒音がしていたけど、検査の間ずっと熟睡。病院を出ても疲れはまったくとれず、家に帰ってすぐに横になった。健康診断で健康をいちぢるしく害してしまったようだ。夕方までほとんど動けなかった。もうこわいよ、検査は。林屋木久蔵はしばらく顔も見たくない。