新・不定点観測

赤星豊

vol.75 耳毛ジュエリー

 今日、GERUZに行くと、鈴木秀クンからいきなり、「今日ぼくの誕生日なんですよね」と言われた。彼はぼくよりも学年がひとつ下の早生まれ。今日で42歳になったということだ。42歳のオッサンから、今日が誕生日だと言われてもどうしていいかわからない。「そうなの、おめでとう」、これで終わりである。でも、「今日が誕生日なんですよね」とつい言ってしまう気持ちもわからないでもない。年をとることに喜びはなくても、誕生日それ自体に「特別な日」的感慨がある。それは年をとっても変わりないのだ。

 ぼくよりも年下の人たちに言いたい。男女の性差なく、年をとることは悪いことじゃない。たしかに生物学的に見ると、20歳代以降は下り坂、衰える一方である。年々、カラダが思うように動かなくなり、記憶力は乏しくなる。皮膚はたるむ、皺が増える、髪は少なくなると同時に白髪が増える。「醜い」かどうかは別にして、それが「老い」であることは間違いない。しかし、それでも、年をとることは悪いことじゃない。なぜそうなのか、ここでいくらでも述べることができるが、そこは年をとってみたときに、「ああ、赤星が言ってたのはそういうことだったのね」と実感してもらいたいので、あえて書かないことにする。

 話はまったく変わるかに見えるんだけど、あとでまたブーメランのように戻ってくるので、しばらくガマンして読んでください。最近、森進一がワイドショーを賑わしている。代表作『おふくろさん』に勝手にセリフをつけて歌ったとして、作詞家が激怒しているのだ。当の作詞家の川内康範が記者会見をする姿をテレビで見た。氏は現在86歳。なかなかおしゃれなおじいちゃんで、背筋はピンとして相当な威厳もある。その氏がマイクを握ってコメントする姿にぼくはくぎ付けになった。氏の両の耳たぶに、耳毛が房のように生えていたのだ。クセ毛で巻いているんだろう、耳毛が玉のように丸くなっている。しかもデカい。半端じゃなくデカい。耳に生えている毛というより、耳毛に耳がくっついているような、それぐらいの圧倒的存在感を放っていた。
 ぼくは自分の老いに関して、顔の皺もシミも白髪(上下ともに)もまったく気にしてない。いい年なんだから当たり前ぐらいに思っている。だが、唯一、気になって仕方ないものがある。それが耳毛だ。初めて気づいたのは4、5年前だったと思う。美容院のウラくんに言われて鏡で見たときはゾッとした。以来、気がつくと抜くようにしてきたが、ちょっと気を抜くとピョンと生えていて、それを見るたびまたゾッして、あわてて抜くということを繰り返してきた。なんともいえず、イヤなのだ。自分の耳に毛が生えるという老いは受けいれられても、耳毛を生やしたままの自分は断固受けいれられなかった。
 ぼくがそうであるように、人間誰しも耳毛に嫌悪を感じると思っていた。それがどうだ、川内氏のあの耳毛たるや、「受けいれる、受けいれない」のレベルをはるかに通り越して、もうジュエリーの域にある。人間、年をとると醜くなるというのは誤りである。年をとった人間でしか表現しえない魅力もあるのだ───と、締めくくりたいところだが、どうだろう、やっぱり自分にはありえないかな。他人のそれは認められても、どうしても自分には受けいれられない。抜くよ、オレこれからも。もしもうっかりして、ピョンと生えていたりしたら即教えてください。みなさん、どうかよろしくお願いします。