今日は親友Aの四十九日だった。
彼が死んだと聞かされたのは、ぼくがポーランドから帰った翌日だった。Aはぼくの高校時代からの親友で、卒業後は水島で働いていたが、20歳を過ぎて東京に出てきた。ただでさえ友達が少ないから、Aとは東京でしょっちゅう会ってた。それが20年続いた。20年も倉敷を出ていたけど、Aは倉敷に人一倍愛着があった。地元の情報番組をビデオに撮って、友達や家族から送ってもらっていた。口には絶対出さないけど、倉敷に帰りたいという思いは強かった。
ぼくはAを頼りにしていた。お互いに、悩みを相談したり、助けを求めたりすることはなかった。会うと、いつもバカな話をしていた。彼の方はどうだかいまとなってはわからないけど、それでもぼくは心から頼りにしていた。Aはぼくが心から頼れる男であり、ある意味、精神的な支え木のようなものだった。それが突然、なんの前ぶれもなくポキッと折れた。いまも現実としてAの死を受けいれるのは難しい。長く東京で会っていて、ぼくが倉敷に帰っていたせいもあるだろう。ぼくは支え木が折れたことに気づかず、これまでのように普通に歩いている。
午前10時、児島駅近くの葬儀場アーバンホール。懐かしい面々が集まっていた。行ってる高校はバラバラなんだけど、高校時代にいつもつるんでいた。SUZUKIのGSに乗っていたマルヤマ。免許を高校に取り上げられていたぼくは、いつも彼のGSの後ろに乗っていた。KAWASAKIのFXに乗っていたモリシマは福井からわざわざやってきた。無免許で何度も捕まってたAはモリシマの後ろが指定席だった。ほかにもオカ、オノ、タール、はらっぺ。喪服姿だけど、ほとんど変わってない。みんなで話してると、自分が20歳ぐらいだと錯覚してしまいそうだった。
昼でも食べようとモリシマが言い出し、みんなで近所の中華屋に行った。喪服姿のままテーブルを囲む。一瞬、『ディアハンター』のラストシーンが思い浮かんだ。ベトナムで死んだ地元の親友をしのび、テーブルを囲んで「God Bless America」を静かに歌うシーン。でも、目の前の光景は似ても似つかぬものだった。端的にいえば、ただのうるさいオッサンたちの図である。大きな声でひたすら子供の話。冗談まじりで話す口調は昔のままなんだけど、ボーイズリーグがどうしたとか、中学生の勉強が難しいとかどうとか、昔じゃありえない話題にすりかわっていた。
Aのことは見事なまでに話題にのぼらなかった。ぼくは、彼らがどう感じているのか聞きたい気持ちもあった。しかし、バカしか言わずにやってきた友達というのは、大人になってもバカしか言わない。いきなり真面目な話なんてできないものなのだ。Aもそれはわかっているはずだ。だから、まあこれでいい。これがぼくらの流儀だ。
それにしても『ディアハンター』はないよな。だいたい、場所からして近所の中華屋「又一(またいち)別館」だし。モリシマなんて、八宝菜定食とラーメンを一緒に食べてたし……。