目の前で、おばあちゃんが自家製の豆餅をストーブの上で焼いてくれた。「なんたるぜいたく!」と思うだろう。そうだろう、そうだろう、ぼくだってそう思う。ところが、である。ぼくにとっては実にありがた迷惑なぜいたくだった。何を隠そう、豆餅が苦手なのだ。43年間生きてきて、2、3度かじったことがあるぐらい。塩っぽい餅というのがガマンできなてく、もう飲み込めないのだ。なおかつ、典型的な核家族で育ったぼくは「おばあちゃんの味」的素朴な食べ物をわりと苦手としているし。よわったな、と思いながら焦げ目のつき始めた餅を眺めていたそのときだ。ぼくは信じられない光景を目にした。あろうことかそのおばあちゃん、ぼくの目の前で、火の通り具合を確かめるために親指でぎゅうっ、餅を突いたのだ。あちゃ、わしゃもうイケんかも……(訳:ゲッ、オレもうダメかも)
今日は下津井特集最後の取材・撮影日だった。最後の最後は下津井にあるスーパー「和田鹿」。何が面白いって、和田鹿だからね、和田鹿。そんな鹿がこの世におるんかい? それとも「和田歯科」の誤変換? てな具合で、ぼくにとっては、それだけでご飯3杯はいけそうなのだ。もちろん、その屋号の由来は本誌が出るまでのおあずけということで。
で、1時間ほどの取材が終わって、和田鹿のかつての看板娘マキコばあちゃんが、ぼくとカメラのイシイくんに豆餅を焼いてくれたという話である。
ぼくはもう観念していた。豆餅のひとつやふたつ食べれないで編集長が務まるか、ってな感じで。でも、動揺は隠せなかったようだ。豆餅を手に取ろうとして、床にぼとりと落としてしまった。おばあちゃんの指と床にしこたま触れた餅。うーん、どうなんだ。うちの潔癖症の甥っこのリョウなら、お年玉を全額差し出して許しを乞うただろう。でも、ぼくは床に落ちたなんてのはもうどうでもよかった。本当にそうか? 床に落ちた豆餅と床に落ちなかった豆餅。うん、やっぱりどうでもいい。床に落ちたことでバームクーヘンに変わるわけじゃなし。豆餅は豆餅なんだよ。嫌いなんだよ、おいら。
ところが人生というのは本当にわからない。豆餅ひとつで人生を語るのはどうかと思う。が、その豆餅があにはからんや、実に美味かったのだ。最初のひとかじり:「ゲ、やっぱり食えない……」、ほんのりとした塩味とあの食感がまざまざと蘇る。これよ、これこれ、これなのよ。なのにするっと飲み込めた。次のひとかじり:「ん? オレもうひと口いこうとしてる?」。3口めにはすでに美味いと感じてうっとりしていたのである。
マキコばあちゃんは「お土産に」と、もうひとつ豆餅を焼いてくれ、おまけに朝の6時に揚げたという、ごぼうの天ぷらまでもたせてくれた。このごぼうの天ぷらがまた最高だった。イシイくんとふたり、歩きながらぺろっと平らげた。和田鹿のマキコばあちゃん、ありがとう! おばあちゃん的素朴な味、最高だよ! (写真はストーブの上の豆餅。このストーブ、普段いろんなものを焼いてるみたいで、いろんなものが焦げついちゃってました)