新・不定点観測

赤星豊

vol.62 上を向いて歩こう

 前回、前前々回とエコにまつわる話を書いたところ、いままでにない反響があった。エコをテーマにしたKJフェスの実行委員会の募集にも応募があった。やっぱりエコに関心をもっている人は多いのだ。ぼくは確信した。「ニュース23」を見てふと思いついたとはいえ、やらんとしていることは絶対的に正しい。

 話は変わるが、ぼくは「ニュース23」だけでなく、「報道ステーション」も見る。最近テレビがデジタルになって、古舘さんのメイクがやけに濃いのが気になって仕方ない。不二家のニュースに「雪印の教訓がまったく生かされてないですね」と真顔で言う古館さんの顔を見ながら、「そんなに厚塗りしなくてもいいんじゃないの?」とひとり突っ込んでいる───って、そんな話をしたいわけじゃないのだ。
 昨晩の同番組内で、「老老介護」の問題を取り上げていた。老夫婦のどちらかがどちらかを介護するというケース。核家族化のなれの果ての姿だ。番組では在宅介護をするふた組の老夫婦の現状を紹介していた。ともに夫が妻を介護していた。夫が食事を作り、洗濯をし、妻を風呂に入れ、頭を洗い、おしめを換える。並大抵の苦労じゃない。昨年、老老介護の介護疲れから、30件以上の殺人があったそうだ。そのうちの7割は夫が妻を手にかけるケースだった。番組内に登場した60歳代半ばの夫は、「気持ちはわかる」と言った。
 ヤバい。うちのオトンも番組で見た夫たちと似たりよったりだ。介護疲れは? そりゃ疲れているに違いない。とくに最近は、ぼくがKJの次号の原稿と入稿で忙しいので、家にほとんどかまっていない。食事の用意も、今週から火・木・土の週3回にしてもらっている(入稿が終わる2月中旬までということで)。オトン、オカンを殺したりしないかな? ちょっと心配になった。「やっぱり素っ気なくしないで、オトンの話はまじめに聞いてやろう」と古舘さんの厚いメイクを見ながら思った次第だ。

 それにしても、子供っていうのはなんと薄情か。あの番組に出ていた老夫婦にも子供がいるはずである。経済的にも子供が援助している様子はなかった。育ててもらった親が、苦労して生きているのだ。医療費を気にしながら、わずかな年金でつつましく暮らしているのだ。それを知りながら、彼らの子供たちはどんな気持ちで日々を生きているのか。「子供の世話になりたくない」という親の気持ちは、子供のいないぼくにもわかるような気がする。でも、どんな理由があれ、苦労している親を放ったらかしにする子供の気持ちはわからない。絶対にわからないし、わかりたいとも思わない。

 前にも書いたけど、人には最低限の品位が必要だと思う。品位なんてものはたしかに個人的なものだ。「ここを越えちゃいけませんぜ」というラインはひとそれぞれであり、他人に押しつけられるものじゃない。でも、ぼくはそんなにできた人間じゃない。自分のラインで人を見る。人をはかる。ぼくの最低限のラインに則して、環境にまったく配慮しない人間や、親の苦労をなんとも思わない人間には、彼らの品位をおおいに疑う。人としてダメじゃないかとまで思う。
 かくいうぼくは、実はダメな人間の部類に入っている。過去に最低限のラインを越えてしまった。絶対やっちゃいけないこともやっているのだ。しかし、だからこそ、もう越えまいという思いは人よりも強い。ぼくは下を向かずに生きていきたいのだ。