新・不定点観測

赤星豊

vol.59 死後の世界

 おまえはあの世ではきっと幸せになれる───。1年ほど前に宮司の伯父からこんなことを言われた。そのときはあの世があるのかどうか、よく分からなかった。伯父に詳しく聞くと話がとんでもなく長くなるので、「はいそうですか」とさらりと聞き流していた。
 人間が死後にどうなるのか、ほとんど考えたことがない。死んだらそれで終わりのような気もするし、そうじゃない気もする。まあ、あれこれ考えても死んでみなきゃわからないので、突っ込んで考えることもなかったわけだ。しかし、今年になってちょっと考えさせられるふたつの出来事があった。そのひとつは、これまた伯父の登場である。新年のあいさつで下津井の本家に行った際、その場で死後の世界が話題になったのだ。もうひとつは、それから数日後に見た、江原啓之の出演しているテレビ番組だった。
 『天国からの手紙』と題したこの番組は、誰かを亡くした家族のところに氏が行って、亡くなった娘なり夫なりの言い分を家族に伝えるというもの。普段、バラエティの類はほとんど見ないぼくは、江原の出演している番組を初めて見たのだった。感想から言うと、一言、たまげたね。「あなたのすぐ横に(死んだ)娘さんがいます」なんて映画の『シックスセンス』そのものだし、死んだ人の言葉をそのまま伝えるところなんか、まんま『ゴースト』のウーピー・ゴールドバーグである。そんなのを初めて目にしたら、ぼくがそうだったように、疑ってかかるのは自然だろう。江原氏の顔の色艶のよさと太り具合に「スピリチュアル」とは縁遠い世俗的なものを感じるし、死んだお父さんが家族あてに書いた手紙なんて胡散臭いことこのうえないし、おまけにその手紙の文章がやけにうまかったりするし(ちなみにお父さんの職業は漁師さんでした)。
 それでも、だ。「あれ、もしかしたら本物だ」と思う瞬間が何度かあった。「本物」と認めることは、つまり「死後の世界」を認めるということでもある。

 伯父が言うには、あの世では7段階の位があり、この世は位を上げるための修行の場であるという。人間はみな、修行を望んで、言い換えればあの世でキャリアアップを望んでこの世に生を受けたらしい。憶えちゃいないが、ぼくも相当に野心的なスピリットの持ち主のようだ。
 で、死後の世界を認めるぼくはこう考える。あの世で位を上げるために、この世で徳を積むべきか否か。あの世では野心的だったぼくも、この世ではまったく正反対。結果はおのずと「否」となってしまう。あの世の位なんてどうだっていいのだ。もしかしたら会社みたいに、位が高いほど重い責務を負わされたりするかもしれないし。だから、いままで通り生きよう。大切なのはいかに楽しく人生を生きられるか、だ。
 かたや死後の世界を認めないぼくはこう考える。一回きりの人生、死んで無になるのなら、この世を精一杯楽しもう───。
 死後の世界があるかどうかをはじめて考えた結果、結局、死後の世界を信じようが信じまいが、ぼくのいま生きているスタンスはまったく変わらないということが判明した。「ハイ、あなたの修行はここまでね」と幕を下ろされるまで、できるだけ楽しく生きてやる。死んだあと、位がどん底まで落ちて、それでもってひどい生活が待っていたりしたら、そのときは伯父に愚痴のひとつも言ってやろう。「あんた、『きっと幸せになれる』って言ったじゃないッスか」てな感じで。