新・不定点観測

赤星豊

vol.44 煮汁もスープのように飲める黒豆

 今年も残すところあと3週間、正月も目の前だ。つい3年前までは、正月といえば楽しみ以外なにものでもなかった。倉敷に帰省している1週間ほどの間、ずっと「食っちゃあ寝、食っちゃあ寝」。この自堕落な1週間で英気を養い、また東京に戻っていく。そんなことを20数年繰り返してきた。しかし、オカンが脳梗塞で倒れてからというもの、正月が一変した。年末からしてまったく違う。30日からせっせとおせちを作るのである。
 初めておせちを作った一昨年のこと。『Kunel』の鈴木るみこさんからもらった京風おせち料理のレシピ本をもとに、それはそれは忠実に丹念に作った。時間と手間がアホみたいにかかった。その甲斐あって、自分でもビックリするぐらいおいしいおせちができた。とくに黒豆は絶品だった。どれもふっくら、表面はつやつやとして、京風のあっさり味だから煮汁もスープのように飲める。見ているだけでも顔がほころぶような、本当に見事な黒豆だった。
 黒豆の出来に満足して、大晦日の午後は買い物に行った。3時間ぐらい家を空けていただろうか。家に帰って、ふと鍋の中の黒豆を見てみた。と、あれだけふっくらしていた豆の表面がしぼんでいる。一粒つまんで味見してみる。甘い。スープを口に含む。非常に甘い───まるで別物だ。「煮汁もスープのように飲める」の京風黒豆はいずこに?
 ピンときた。オトンだ。「オトン、豆になんかしたろう?」
「おっ? 味が薄かったけん、砂糖ぎょうさん入れちゃったんじゃがな。豆も柔らこうなっておいしゅうなったろうが?」
 台無しだ。すべてを放り出して東京に帰りたくなった。
 去年の正月は黒豆を炊かなかった。面倒くさいし、前年のショックがわずかに残っていたのだ。今年はまた炊こうと思う。京風黒豆を再現してやるのだ。オトンには「絶対に手ェ出すな」とクギをさしておこう。

 ニョンくんからメールが来た。ニョンくんは大阪在住のベトナム系アメリカ人。ストリート系のかなりカッコいいイラストを描く。彼には下津井特集のなかでイラストを描いてもらうことになっているんだけど、この秋は仕事が忙しく、来倉できなかった。
「1月2〜3日で行きたいんだけど、どうかな?」
 うーん、これもろに正月だね。西欧の人にとって、正月は「new years day」、1年の始まりの1日に過ぎない。普通に翌日から仕事をしていたりする(その代わりクリスマスにかけて数日のお休みがあります)。ニョンくんは日本のお正月のことを知らないのだ。まさに文化のギャップ。ニョンくんには悪いけど、もう一度スケジュールを出してもらおう。でも、それが無理ならやるしかないか。来年の仕事はじめが正月の2日になるということだ。正月の2日から仕事……いいんだよ、もうこの際。ニョンくんに黒豆を食べさせてやろう。