先日、東京で髪を切ってもらってるとき、美容師のウラくんから、「最近の赤星さんのコラム、感傷的になってないですか?」と言われた。そうかもしれない。ここしばらく、ぼくは感傷的になってる。「電気あんかがなんでピンクなんだよお!?」みたいなことを書きながら、ふうっと深いため息なんかついてる。今回も本当は「今年の10大ニュース!」みたいなテーマで書こうとしたけど、ちっとも気分がのらない。
思えばこの1年で10年分を生きたような気がする。1月から4月にかけては企画書をもって企業を回り、KJの資金集めに奔走した。春からは本格的な制作に移り、ローランドや小林エリカやカメラマンを東京から呼んで倉敷で撮影した。雑誌がようやくあがったと思うと、9月にはロンドンに飛んでKJを配って回った。この頃までは鬼人も避けて通るような勢いで、自分のやってることを正しいと信じてがむしゃらに突き進んだ。
秋も深まった頃、いろいろと考える時間ができた。それまでは、自分のやってることを信じて疑わなかったわけだけど、実は疑う余裕がなかったのだ。そこで初めて自問したわけである。「わしゃ、これでええんかいの?」と。10年分生きたこの1年で、10年分の新しく得るものがあった。でも、同時に失うものも大きかった。きわめてプライベートな部分なので詳しくは触れないけど、ぼくにとっては10年分の、いやそれ以上の損失に等しい。その損失のいくつかは自分で判断したうえでの損失だ。もちろん、そのときは正しいと思ってそうしたんだけど、本当に正しかったんだろうか?
今年の夏、宮司の叔父から「おまえは来世では幸せになれる」と言われた。「おー、オレの来世はバラ色だあ!」なんて誰が喜ぶ? 当然、いい気持ちはしなかったね。「おまえの現世は幸が薄い」と言われてるのと同じだから。といっても、今までの人生がとくに不幸だったなんて思ってない。むしろ、幸せな方だったんじゃないかな。でも、たしかに去年の秋にオカンが脳梗塞になってから、ぼくの環境は180度変わってしまった。本当は120度ぐらいだったんだけど、自分で無理矢理180度に折り曲げてしまったフシもあるが。
ともあれ、ぼくの人生は第二のステージを迎えるにいたった。そこで真っ先にぶつかったテーマが、「まわりの人の幸せをどこまで考えるか」だった。それは周囲の人の幸せをどれぐらい真剣に考えられるかということであり、場合によっては、自分の幸せをどれぐらい犠牲にできるかということでもあった。これ、かなり深いテーマである。よほど真剣に考えなきゃいけない問題だ。なのに、ぼくは深く考えないで、いくつかの重要な判断において、「じゃあ、もってけよ」てな具合で、いとも簡単に自分の幸せを差し出したような気がする。だから今になってウジウジと考えたりしてるわけである。
新しい年はやっぱり気持ちよく迎えたい。だから、いろいろと考えるのは年内に終えようと思ってる。決断した結果の損失は、すべてぼく自身の責任だ。諦めるべきものは、きっぱり諦めなきゃいけない。でも、失ったもののなかには、まだ取り戻せるものもある。カウントダウンの目盛りはあと48時間。ロンドンの原稿書きに引き続き(vol.38参照)、またまた起爆装置の解除に挑むこのぼく。今年はどうもこういう展開が多いね。倉敷の滞在日数、3日間経過。