3週間ほど前に、児島の親友Oのお母さんが亡くなった。アルツハイマー症を患って、ずいぶん長い間施設に入ったままだった。「最初は見舞いにもしょっちゅう行きょうったけどの、だんだん行かんようになるわいや。わしのこともわからんのじゃけん」。いつかそう言っていたのを憶えている。喪主は長男のOだった。その日は見事な晴天で、10月も末に近いというのに、夏のような日差しが照りつけていた。出棺の前に弔問にやってきた人たちを前にして、Oが挨拶の言葉を述べた。
「母は8年間も闘病生活を続けていました。苦しかったと思います」
そこまで言って言葉につまった。何度か言葉を継ごうとしたがうまくいかず、結局、隣にいた葬儀社のスタッフにマイクを手渡した。高校の頃から人を笑わせるようなことしか言わない。そんな憔悴しきったOの姿を見るのは初めてだった。
数日してOから電話がかかってきた。照れくさそうに、葬儀に出席したことへのお礼を言われた。それから聞きもしないのに、こんなことをつらつら言い始めた。
「あんな状態でも生きとるんと、もうおらんゆうんは全然違うわ。わしもの、悔いがあるんじゃ。もうちょっとなんかしちゃりゃあよかった。おめえもいまのうちで」
そんなことは言われずともわかってる。おれはちゃんとやってるよ、たぶん……。
「こんなにいらん、食べれんわ」
うちのオカンのこの言葉、毎日食前に必ず聞かされる。そんなに大盛りにしているわけじゃない。ぼくとオトンの分の3分の2ほどに調整している。おかずによってはちょうど半分のときもある。なのにオカンは必ず言う。泣きそうな顔をして。ものすごくイヤ〜な感じで。
「食べれるだけ食べたらええんよ。残せばええんじゃけん」
これは「いただきます」に対する「どうぞ召し上がれ」みたいなもので、アホみたいにこの言葉を儀礼のように毎回、本当に毎回やりとりしている。じゃあ残すのかというと、いつもぼくとオトンよりも先にペロっとたいらげる。マジでげんなりだ。そして先日、ぼくはチョイ切れした。
「ほしゅうなかったら食べんでええがな」
ついに言ってしまった。オカンは意外だったのだろう、左手にフォークをもったまま、きょとんとした顔をぼくに向けた。
「ほな、いま食べんかったらいつ食べるん?」
「明日の朝にでも食べたらええ」
そこからケンカになることもなく、その夜の食事はいつものように終わった。もちろん(ぼくにとっては「もちろん」なのだ)、オカンは出されたご飯とおかずを全部食べた。
翌日、台所に立っているぼくのところにオトンがやってきた。前日の夜中にオカンがトイレから帰ってきて、いきなりオヤジにこう言ったという。
「『朝食べたらええ』って言われたけど、あんなおかず、朝に食べられるわけがないがな」
その夜ずっと気になってたんだろう。オカンに悪いことをしてしまった。短気は損気なのよ。ああ、オイラのバカ。───おめえもいまのうちで。そのときOに耳元でささやかれたような気がしたのだった。