アギーの朝は早い。夜明けとともに目を覚まし、目を覚ますとすぐに、「水槽から出してくれい」と水槽のガラス面を爪でカシャカシャこすって訴える。ぼくはベッドから出て、アギーを水槽から出して床に放置し、その足でまたベッドに戻る。ほどなくして、布団を通して足元にアギーの体重を感じる。アギーはどんくさい見てくれからは想像できないようなジャンプ力で、ベッドの端に垂れた布団に飛びつき、布団をのぼってくるのだ。足もとからお腹の上へ、首のあたりへ、そしてさらには顔の上まで。眠っているぼくの頭の先には、アギーの大好きな日光が降り注ぐ出窓が。つまり、ぼくのカラダは彼の出窓への通り道というわけだ。しかし、出窓まではちょっと高さがあって自分で登れないので、ぼくの顔の上でどうしたものかと考え込んだりする。夏はアギーのおなかがひんやりしていてそれも気持ちよかったりするが、大抵は爪がほっぺたやら頭に食い込む痛みに耐えられず、乱暴にアギーを出窓にひょいと投げてやって朝の儀式は終わる。
夜は夜でまた早い。夏だろうが冬だろうが、6時も過ぎるとご就寝だ。ぼくが夜遅くに帰ってくると、ベッドの下とか、部屋の隅っこの鏡の裏とか、ゴミ箱の裏とか、必ず狭いところに入り込んで眠りこけている。まさに「眠りこけている」という表現がぴったりで、ちょっとやそっとじゃ起きない。ぼくはいつも、眠っているアギーの腹のあたりに手を差し込んで持ち上げ、年中28℃に温度がキープされている水槽へと運んでやる。その間、アギーは眠ったまま。目を覚ます気配すらない。手のひらの上ですやすや気持ちよさそうに眠っているアギーは、なんともいえず可愛い。ぼくが初めてアギーを可愛いと思ったのも、ヤツの寝顔を見たときだった。その可愛さといったら、トゲトゲの皮膚に頬ずりしたくなるぐらいで、実際、ぼくはよくアギーに頬ずりしていた。
アギーと一緒にいた5年間は、日々の生活に笑いが絶えなかった。アギーがぼくの生活を豊かにしてくれた。アギーのいない生活は考えられないぐらいだった。しかし、ぼくが倉敷に頻繁に帰るようになって、一緒に生活できなくなった。別れざるをえなかった。
アギーと別れて1年と少し。その間、アギーはデザイナーのアミちゃんとふたりで暮らしていた。ぼくは東京に行くたび、離婚した妻の家に子供に会いに行くように、アギーの様子を見に行った。アギーと最後に会ったのは9月の下旬だった。そのときのアギーはいつものようでいつものようじゃなかった。たぶん、もう長くないのだろうと思った。アミちゃんは、「お医者からいつ死んでもおかしくないといわれた」と言った。トクオが死んでから6年、アギーには二度目の人生の方が長くなっていた。寿命がきてもおかしくなかった。
それから10日ほどしてアミちゃんから電話があった。アギーの行き着けの病院を出たところだと言った。アギーは危篤状態にあった。彼女は電話の向こうで泣いていた。その夜、もう一度電話があった。アギーの呼吸が止まったと病院から連絡があったと言った。「これからアギーをひきとりに病院に行く」と彼女は泣きながらやっとの思いで言った。ぼくは「そう」としか返せなかった。倉敷にいて、彼女にしてあげられることはなんにもなかった。
アギーはトクオに愛され、ぼくに愛され、アミちゃんにはぼくたち以上に愛され、幸せだったと思う。哀しむことなんかない。それにいま、やっとトクオの元に帰ることができたのだ。アギーにはやっぱりトクオが似合っている。いつもマイペースでクールだけど、どこか間が抜けているという点で、アギーとトクオはそっくりだった。だからだろうか、トクオが死んだときと同じぐらい、アギーの死がいまは哀しい。さよなら、アギー。