東京から送ったダンボールの中に手紙の山があった。300通ぐらいあったと思う。東京に出てから10年ぐらいためていたものだ。時計は深夜の2時も過ぎているのに、1通を読み始めるとそのまま大半に目を通すことになってしまった。
そのなかの1通に、何度も読み返さずにいられなかったものがある。大学の卒業を控えた年の秋に、アニキからもらった手紙である。当時ぼくは植木屋でのアルバイトに明け暮れ、大学にはまったく行かず、就職活動も一切していなかった。ぼくは記憶にないんだけど、両親に「わたくし、卒業して植木職人になります」といった旨の手紙を送ったらしい。アニキからの手紙は、そんなぼくのいい加減な態度に両親が失望していると伝え、また彼自身ぼくを強く非難するものだった。はっきりと「就職から逃げている」と指摘されていた。その手紙で、ぼくは当時の心境をありありと思い出した。当時はアニキの言うことを認めなかったように思う。でも、今考えるとその通りだった。
本当は教師になりたかった。でも、教員試験の3週間前に事件があった。同じように教師を目指していた同じクラスの友達が自殺した。衝撃が大きすぎた。勉強はまったく手につかずしばらく眠れない日が続いた。挙句、試験の直前というのに、伊豆に10日間ほどひとりでぶらぶら旅行に行った。同じクラスで教師を目指していた友達はほとんどが教師になった。ぼくだけなれなかった。ぼくだけが弱かった。翌年、両親に「仕送りはいらないから、もう1年だけ大学に行かせてくれ」とお願いし留年した。その留年の年に、今度は就職から逃げていたというわけだ。
アニキから手紙をもらってしばらくして、結局、ぼくは就職することに決めた。学生課に「就職したい」と言うと、「君は3年生か?」と言われた。それぐらい時期的に遅かった。募集はマスコミの一部しか残っておらず、「編集プロダクション」というわけのわからない業種の会社に応募した。ぼくがいまこんな仕事をしているのは、つまりぼくの弱さゆえなのであった───と、そんなことを早朝に考えさせられ、少し気分が悪かった。
昨晩、下津井でマチェイと話し合った。どうやってこの下津井を撮るべきか。東京からモデルを呼ぼうと言い出したのは彼だった。銀行の残高の数字と税理士のシマヅさんの顔が同時に浮かんだ。毎度大赤字のKJが東京からふたりも招聘するのは予算的にいかがなものか。でも、いきなりモデルに電話して、「明日の早朝の新幹線で倉敷に来い」といっても来られるはずがないのだ。この「常識的に無理」を信じて、ぼくはふたつ返事で、「マチェイが呼びたいのならいいよ」と答えた。
来た。東京からモデルが。「明日の早朝の新幹線で倉敷に来い」というマチェイの無茶苦茶なリクエストに応えてあっさりと。名前をヒロトという。マチェイが以前に作品撮りに使ったモデルらしい。おいおいヒロト、きみのスケジュールはどうなってんのよ? 彼を児島駅に迎えに行く前に、セブンイレブンに寄った。10万円おろした。10万円なんて40歳過ぎても大金だ。でも、この大金がふたりの交通費と宿泊代できれいさっぱり消える。またまた頭にシマヅさんの顔が浮かんだ。シマヅさんが美人でよかった。こんなにひんぱんに浮かぶのなら、せめて美人で───って、やっぱりオレどこかおかしいね。