新・不定点観測

赤星豊

不定点観測:vol.12 倉敷(5)

012.jpg 最近、この「krash column」を読んでますよ、という声を聞く。親戚からじゃない(うちの親戚はこんなの書いてるって誰も知らないと思うな)。知人のなかに数人、その知人の知人の、そのまた知人も読んでたりするらしい。書いてる本人は、「こんなの誰が読むんじゃ?」となかばやけっぱちに書いてることもあるので、結構ヤバいって思ったりする。誤字・脱字の心配はもちろん、本当に人に読ませるだけの価値があることを書いてるのか、はなはだ疑問だからだ。でも、正直言うと、やっぱり嬉しいね。あんまり嬉しいもんだから、最近は調子にのって更新の間隔がえらく短くなってる。昨日も書いたし、一昨日も書いた。これじゃほとんど日記感覚だ。今日だってとりたてて書くことないんだけど、つい書き始めてしまった。んなわけで、今回は思いっきり普通の日記を書いてみようと思う。どんなもんじゃ?

10月17日、月曜日。倉敷最終日の今日は、午後から2時間ほど倉敷の中央図書館で郷土資料を見て過ごした。それから駅ビルの中の宮脇書店で倉敷の住宅地図を2冊購入し、帰りに商店街に寄って、ふるいちのぶっかけうどんを食べた。今日が最後だと思うと、うどんには貧乏性なもので、「とりあえず食べとくか」という気になるのである。ふるいちのうどんが好きってのはもちろんあるけどね。
夕方、児島の天満屋ハッピータウンに寄って、晩御飯の買い出し。今晩のおかずはかわはぎの煮付け。無残に皮をはがれたかわはぎを2尾買って帰った。うちの両親は偏食がひどく、しかもふたりが違ったジャンルで偏食するから、毎食えらく頭を悩ませる。かわはぎは「まあ食べられる」という程度の数少ない共通項の魚というわけだ。料理の腕は悪くないと思うんだけど、「どう、おいしい?」と聞いても、めったに「うまい」とは返ってこない。今日もそうだった。もともと、両親ともに魚はあまり好きじゃないのだ。今じゃ「おいしい?」なんて聞かないことにしてる。「文句言わずに食べんかい!」とも絶対に言わない。全部食べてくれたら「ありがたや」と思うことにしてる。krashjapan編集長は、家では「おしん」のような存在なのである。
 夜は家の前の堤防沿いの道をひとりで散歩した。見事なまでの満月だった(上の写真、黒すぎないかあ?)。海面に映った月の明かりを、堤防の上に座ってしばらくぼうっと眺めていた。ここは子供のころから毎日のように来た場所で、うちのジョンが死んだときはこの堤防に座って大泣きしたっけ。青春していた時代には女の子と来てたこともある。20年以上経っても彼女の顔は忘れられない。とまあ、ここに来るといろんなことが走馬灯のように蘇り、「オレはもうすぐ死ぬんかい?」と思えるぐらいの場所なのだ。
 何度も言うけど、倉敷はやっぱりいいね。何がいいって、やっぱり自分が育った場所だから。ぼくはもう何年かしたら、ここに骨をうずめに帰ってくるんだろう。去年の今ごろはそんなことこれっぽっちも思ってなかったけど、今じゃ確信めいたものがある。まあ、それも悪くないね。倉敷の滞在日数、16日間。次は東京篇じゃ。