今回はプライベートな話を書いてみようと思う。これまで触れなかった本当にプライベートなことだ。
うちの家の中のことを書くと、決まってぼくとオトンの話になってるはずだ。でも、実は母親も一緒に住んでいる。丸亀に生まれ育ったぼくの母親は、福山の自衛隊病院に勤務しているときに6歳年下のオトンに惚れられ(学年でいうと7つ下)、おしかけてきたオトンとなしくずし的に同棲する羽目になり、挙句結婚してしまった可哀想な人である。なぜに可哀想かは本人たちの許可を得ていないので書けないが、彼らが逝くか完全にボケるかしたら、思う存分ここで書いてみたい(いつまで続くの、このコラム?)。
で、その母親が(他人みたいなので「オカン」と以後表記します)、そのオカンが去年の9月末に脳梗塞で入院した。命に別状はないが、後遺症が残ってしまった。右半身が言うことをきかず、言葉が不自由で読み書きもほとんどできない。数字もわからず、時計もどう見ていいか分からない───というちょっと困った状況になってしまったわけだ。さらに困ったのは、自分へのもどかしさからうつ病になってしまったこと。以来、現在までリハビリもほとんど受けられていない。当然、後遺症は退院時に比べてかなり悪化している。今では少しは動いていた右手が完全に動かなくなり、言動は痴呆のようになってしまった。何事にもとんでもなく楽観的なぼくだけど、このオカンの状況だけは、改善するとは到底思えない。
ぼくも当初は入院していた病院とか、介護を手伝ってくれない兄貴夫婦とか、第三者に対して相当なストレスを抱えていた。でも、今はあまり考えないですむようになった。ただ自分がやれることをやろうと。問題があるとしたら、実は自分自身にある。正直、今のオカンを100パーセント受けとめられていない。ぼくの名前を甥っ子の名前で呼ぶのはいいのだ。でも、左手でフォークを使って犬食いするオカンの姿を見るのはたまらなくイヤだ。くちゃくちゃと音をたて、ボロボロこぼしながら食べる姿は見たくない。これだけ手がかかるのに、ぼくの独り身のことなんか心配しないでほしい。ぼくが出かけるとき、おぼつかない足どりで玄関まで見送りに来るのはやめてほしい。そんなとき、ぼくはオカンに冷たい態度をとってると思う。オトンの方がぼくよりもはるかに優しい。
オトンはホントよくやってる。本人とそのへんの話をしたことないので分からないけど、これまでの罪滅ぼしの気持ちがあるかもしれない。たとえそうだったとしても、ぼくはオトンを見直している。子供の頃から大好きだったけど、同時にヒドい男だとも思ってた。30年ぐらいずっと。でも、その30年を撤回してもおつりがくるぐらい、オトンのことを見直している。たまに弱音をつらつらと吐くこともあるのだ。すごくうっとうしいんだけど(やっぱりぼくは相当に冷たいね)、黙って聞いてやることにしている。ガス抜きってやつだ。干し柿をぼくの部屋に吊るしても何も言わなかったし。
今回、うちのオカンのことを書いたので、これから普通に登場させようと思ってる。ちょっと痛い人になってしまったが、一緒に生活しているわけだから。オトンとオカンの馴れそめも、また是非詳しく書いてみたいね。これ、かなりおかしいのだ。来年発行する「krash japan books」で本にしようかな。『東京タワー』とかじゃなく、『アズマとミチコ』(彼らの名前です)みたいなベタなタイトルで。