11月1日に発売した雑誌『BRUTUS』の地方都市特集内で、KJを取り上げてもらったその反響が大きい。「是非読んでみたい!」とバックナンバーの注文が相次ぎ、現在もまだオーダーがちょこちょこきている。12月10日発売予定の『ダカーポ EDITUS(エディタス)』というムック本では、「トレンドリーダー100人が選ぶベスト10」というページに、なんとそのひとりとして登場、倉敷で選んだベスト10を誌面で紹介している。どうみても「トレンドリーダー」じゃないし、むしろその対極的なポジションにいると思っているんだけど、出してもらえるというのであればのこのこ出ます、いまのぼくは。KJも残り3号、ひとりでも多くの人に見てもらいたいから、機会があれば積極的にPRしていきたいと考えている。ちなみに11月25日発売の『彷書月刊』という古本屋さんのための情報誌にまで出たりなんかしてます。なかなか目にする機会はないでしょうが、もしも見かけることがあれば見てやってください(南陀桜綾繁<なんだろう・あやしげ>さんという方の連載ページに登場しています)。
あさっての土曜日はいよいよアレだ。「瀬戸大橋架橋20周年記念 第3回備中國地域づくり全体交流会」の記念講演。1時間20分もの間、いったいなにを話したらいいのか、実はまだなにも考えていない。さすがに明日あたり、ちょっとは考えないとマズいかなと思っているんだけど、ぼくの性格からしたら、かぎりなく「ぶっつけ本番」に近いラインが濃厚である。場所は児島せとうちホテル、時間は午後3時15分から4時40分まで。定員150名がすべて埋まっているとは到底思えないので、もしもご興味のある方は下記まで連絡してみてやってください。
NPO法人ファッションタウン児島推進協議会 086-472-4450
11月も早いもので3分の2が終わってしまった。メキシコで魔女にとりつかれたショックから立ち直るのに2週間ぐらいかかったから、ずいぶん時間を無為に過ごしてしまった感がある。12月に入ると、いきなり次号の撮影をスタートする。最初は長島有里枝さんだ。vol.2であの水島工業地帯の写真を撮影してくれた長島さんが3年ぶりの来倉。今度はどんな写真を撮ってくれるのか、楽しみでしかたない。長島さんの後は間髪入れずに安村崇。ぼくの大好きな写真集『日常らしさ』(発行:オシリス)のフォトグラファーである。安村さんの来倉は今年だけで三度目、いずれも次号のための撮影をしてもらっている。実はこのふたりだけじゃない。あとふたり、次号のために東京から写真家が来倉の予定だ。この4名の写真家に、カフ特集で倉敷の喫茶店の写真を撮った岡山の池田クンを加えた5名の写真家が、次号たった一冊ですべてオリジナルの写真を発表する。我ながらなんとぜいたくな企画。実はこれぞ次号「photography issue(写真特集号)」の全貌なのである(「全貌」といいながら、あと2名の写真家を伏せておくあたり、発表のしかたがニクいね)。みなさん、乞うご期待! いくら期待してもらっても裏切りませんから。
昨日、児島のパン屋さん「ペイネ」で、カスクート(こぶりの細いフランスパンにチーズとハムをはさんだサンドイッチ、焼いて食べると絶品!)とコーヒーのランチを食べているときだった。カウンターのなかでアサコさんが、「赤星さん、誕生日いつだっけ?」。きたきた、久々の占いだ。生年月日を伝えると、そばにあった本を広げながら、「狼なのね」と。また動物占いだ。一気にトーンダウンである。しかし、アサコさん、ふと本のなかでなにかを発見した模様。
「なになに、なによ?」
「トラとウサギの年が絶好調になってるわよ」
「それって、いつなの」
「2年後と3年後」
「どんな具合に絶好調なの?」
「あのね、名声と財がいっぺんに入ってくるんだって」
「なぬう? 財とな?」
「もう、スゴい財なんだって。だから来年まではおとなしくして───」
そんなことはどうだっていいのよ、アサコさん。ぼくに、なんとお金が入ってくる……。これまで45年間、まったく縁のなかったのが、なにを隠そう、お金である。社会人になるまで、いや、なってからも、ぼくの人生はお金という面でまさに綱渡りであった。ちょっとでもバランスを崩すと奈落の底にという、ある種、サバイバルな人生だったのだ。
「お金ね……どうしようかね、そんな大金が入ったら」
ぼくは隣にいたフジタくんに問いかけた。問いかけたように見えたが、それは完全な独り言だった。にもかかわらず、フジタくんは「どうしましょうかね、フランス車でも買い占めますか?」。フジタくん、いいヤツだから。
「どうしよう? なにに使おう……全然思いつかない」
「そうですね、家だって欲しいわけじゃないし、車だっていまのサンクを乗るでしょうからね。いっそ、ボディはそのままにして、なかをフルレストアしますか?」
大金の度合いにもよるけど、それにしたってたいしたお金はかからないよ。
「ヨットでも買うか、それともクルーザーとか。そんなのオレは欲しいのか?」
でまかせをいろいろ口にしてみても、ピンとくるものはなにも出てこなかった。結局、その場では、来たるべき2010年のために来年一年間をかけて「欲しいものベスト10」のリストを作るということで話題を締めくくった。
話は変わるが、政府が定額給付金として1万2000円をくれるという(周知のように18歳以下と65歳以上の高齢者は2万円)。その額では、ぼくの「欲しいものベスト10」のどれとして買えないだろう。携帯電話の1カ月分の料金を払ったら、それできっちりおしまい。「なにに使うか」なんて考えるまでもない。それでいて、全体では2兆円という、想像を絶する規模の支出である。もっと有意義な使い方はいくらでもあるだろうに。たとえば、各都道府県に公平に配ったとしたら、岡山県には400億円以上のお金が入ってくる。その10分の1の40億円を文化事業に使うことにして、そのまた1000分の1の400万円ぐらいをKJに助成金としていただけたりはしないだろうか? 400万円あればKJの次号の制作費がまかなえる。いや、この際、1万分の1の40万円でもいい、どれだけ助かることか。
なのに、1万2000円の定額給付金───考えれば考えるほど腹がたつ。あまりに腹がたつので、「欲しいものベスト10」でも考えながら、2年後のぼくに思いをはせる今日このごろ。
午後4時。そろそろ露店も閉める時間だ。その日の売り上げは、オーダーのリングが1個と展示していたリングが1個、それにネックレスがひとつ。価格のことを考えれば、予想していた以上の収穫だったと言える。ちなみに、商品はすべてメキシコの通貨ペソで販売したので、カワベくんは「ぼく、相当なおペソもちですよ」と冗談で言っていた。
片付けを始めようとしたちょうどそのとき、カナダ人のストームが奥さんのヴィヴィを連れてやってきた。ストームには、「明日の夕方に来てくれ」と前日に言っておいたのだ。今回、こうして露店を開くことができたのも、もとはといえばストームのおかげ。ぼくたちはストームにちゃんとしたお礼をしたいと思っていたのだった。
お礼の第一弾。現地でカワベくんが削っていた道具一式をストームにもらってもらいたいと伝えた。ストーム自身、実はこのタスコでステンレスのジュエリーを制作・販売しているのである。きっと喜んでもらえるとぼくたちは思っていた。
「それは断る理由がないね」
ストームはちょっと照れながら言った。隣で聞いていた奥さんのヴィヴィが興味津々の様子で訊いた。「どうやって削るのか、簡単に見せてくれない?」
ヴィヴィのリクエストに応じて、カワベくんがその場でナットを削り始めた。内側の溝を落とし、さらに外側は削る様子を、むしろヴィヴィの方がストームよりも目を輝かせて見ていた。ヴィヴィは完全にやる気で、ストームはサポートに回るという関係性がすでに出来上がっている。「どう、できそう?」とぼくが訊くと、ヴィヴィは「わからないけど、帰ってやってみるわ」。たぶん、彼女はその日のうちに試しただろう。もしかしたら、今頃も悪戦苦闘しながら削っているかも。こうして、このタスコという地で、実に意外な人にカワベくんの技術が伝授されたのである。
3日間を通してお世話になったデビッドには、カワベくんからネックレスがプレゼントされた。それから、ストームにはブレスレットが、ヴィヴィにはリングがプレゼントされた。残るはデビッドの奥さんのドラである。ぼくがカフェの中に入って、ドラを外に連れてこようとしたそのとき、前日に「明日また来る」と言って帰っていったフランス人の夫妻がやって来た。奥さんは40歳ぐらい、女優さんのような雰囲気のある美しい人だった。なんと彼女がブレスレットとリングをひとつずつ買ってくれた。最後の最後にきて売り上げ倍増だ。しかし、彼女が買ったリングは、まさにカワベくんがドラにプレゼントしようと決めていたものだった。それ以外のリングでは、ドラの指には合わなかったのだ。
結局、ドラは自分から、「これがいい」とネックレスをひとつ手にとった。フェルトがついた、かわいいデザインのネックレスは、ドラによく似合っていた。彼女は嬉しそうに首に下げ、カフェに戻って行った。
翌日の月曜日、カワベくんはホテルのベランダで、削った3つのリングの磨きの作業に没頭した。タスコ滞在最終日の翌火曜日も、朝から磨きに入った。そしてその日の午後、リングがすべて完成した。「混沌」「ヴィヴォ(生きる)」「ストーン・アレイ(石の小路)」と名づけられたその3つの指輪をもって、その日の夕方、ぼくたちはDora’s Caféに行った。デヴィッドはいつものように、7本目だか8本目だかのビールを飲んでいた。ほどなくして、ストームもやってきた(ふたりとも、プレゼントしたジュエリーを身につけていた)。彼らはカワベくんの作品を惚れ惚れとした様子で見、この小さな町でこの作品が完成したことを喜んでくれた───この町にしてよかった。彼らに出会えて、本当によかった。
ぼくたちは陽が暮れるまで、カフェでのんびりと過ごした。カフェの心地よさはまるで家のようで、そこにいる人たちは長年の友人、あるいは家族のように感じられた(了)。
*写真はタスコの旧市街の全景。写真に左の方にある巨大な教会サンタ・プリスカのすぐ横で露店をやってました。なお、今回、メキシコで撮影したビデオを編集し、12月6日(土)の午後8時から児島アラパープで「カワベマサヒロ in メキシコ」の上映会を予定してます。みなさん、是非、足を運んでやってください!
「今日は売れる気がするんですよね」
展示最終日の日曜日の朝、カワベくんが言った。「気がする」というだけあって、その言葉になんら根拠はないのだが、展示した作品を見て、「ボニート!(キレイね!)」と言ってくれる人は数え切れないほどいた。さんざん迷った挙句、「じゃあ、また明日来るわ」と言い残したフランス人の観光客もいた。
午前9時に現地に到着、いつものようにカフェからテーブルを出してきて展示の準備にかかる。それぞれの商品につける値札は、前日までのものよりも若干値下げしていた。できればひとりでも多くの人の手に渡ってほしいというのがカワベくんの思いだった。
作業台に万力を取り付け、前日に途中まで削っていた3つめのリングにとりかかろうとしていたまさにそのときだった。通りの向こうから日本人の女の子がひとり歩いてくるのが見えた。前日にもやってきてくれたあの子だ。海外協力青年隊でドミニカ共和国に派遣され保育士として働いていると言ったあの子。ぼくたちの目の前で、カワベくんを紹介したKJの記事を読み、目に涙を浮かべていたあの子。
「昨日、一晩考えて、やっぱり作ってもらうことにしました」
彼女は考えてきたテーマを伝え、リングをオーダーしてくれたのだった。展示3日目にして初の売り上げ。その記念すべきお客さんが日本人というのも面白い。だって、彼女がずっと日本にいたら(出身は新潟らしい)、たぶんカワベくんのことを知ることはなかったのだ。それが、メキシコのこんな僻地でカワベくんと出会い、さらには近い将来、カワベくんのリングまで身につけることになるのだ。これ、考えれば考えるほど、感慨は深い。
お昼を食べる頃には、カワベくんは3つめを削り終わっていた。なんとも晴れ晴れしい顔をしていた。彼自身、3日間の展示で3つも作品を作ることができると思っていなかったらしい。
いつものように、カフェから運んでもらってランチを外で食べ、「さあ、これから売るぞ」というときに、ふたりの男がやってきた。そのうちのひとりが身分証のようなものをぼくたちに見せ、しきりとスペイン語で何かを訴える。もちろん、なにを言っているのかさっぱりわからない。ぼくはカフェのなかにいたデビッドに出てきてもらった。最初はおだやかな調子だったが、そのうち、相手に向けられたデビッドの言葉の調子が険しくなってきた───彼らは州の役人だった。ぼくたちに露店を引き上げろと言っていたのだ。その場所は露店を厳密に禁止しているわけじゃない。現に同じ通りで土産物を売っているメキシコ人も何人かいた。あとでわかったことだが、彼らはぼくたちが外人だからという理由で露店を出せないと言ったという。その言葉にデビッドが噛みついた。いつの間にか奥さんのドラまで出てきて、役人相手に必死にまくしたてていた。この夫婦はぼくたちのために戦ってくれていた。申し訳ないという気持ちと同時に、あまりのありがたさに感動すらおぼえた。そばで見ていたカワベくんも同じ気持ちだったと思う。ぼくたちは本当にいい人たちにめぐり合った。
20分あまりの押し問答の末、ぼくたちはカフェの入ってすぐのところにテーブルを移した。ぼくはその様子を離れたところから見ていた役人のところに行って、「ビエン?(これでいい?)」と聞いた。男は「ああ、いいよいいよ」とでも言うように首を軽く縦に振った。まあ、彼らも悪いヤツらじゃないのだ。あとでなにか問題になったときに、責任をかぶりたくないのだろう。
ちょっとばかし意気消沈しているぼくたちのもとに、学者風のひとりのメキシコ人のオジサンがやってきた。50歳代なかばのその男は、カワベくんの作品を興味深く見回し、ぼくたちに一枚の名刺を差し出した。オジサンはシルバーの職人だった。デビッドがさっきの顛末を話すと、オジサンは憤った様子で「そんなことならわたしに言えばいい。市長に話をつけてやる」。どうもただものじゃないみたいだ。このオジサン、帰ろうとして、またテーブルの上を見やり、ネックレスのひとつを手にとった。
「うん、これをもらおう」
300ペソのネックレスが売れた。本日、ふたつめの販売。捨てる神あれば拾う神あり、だ。
ほどなくして、もう役人はやってこないだろうとふんで、また通りにテーブルを出した。そのとたん、アメリカ人の年配の女性3人がやって来て、そのうちのひとりがリングを買った。なんかいい感じになってきた。こうして展示最終日はついに夕方を迎えた。そのときは、まだそれ以上に売れるとは思ってもいなかったのだった。(本当の最終回につづく)
露店の開店を前日に控え、ぼくとカワベくんはホテルにいた。ひとつは持って行った商品の値札作り。ぼくたちは現地の物価を考慮して、日本で販売している価格のだいたい半額の値段をつけた。たとえば、2万円のリングであれば1000ペソ、オーダーで受け付けるリングは2000ペソ(1ペソ=約10円)。バングルやネックレスはさらに買いやすい値段をつけた。ほかにもカワベくんの簡単な紹介文を作ったり(翌朝、デビッドに翻訳してもらってスペイン語のプロフィールが完成)、一日中ホテルでのんびりと過ごした。
いよいよ当日。カワベくんは多少緊張しているのか、昨日までとはうってかわって引き締まった顔をしていた。まあ、それも無理はない。個展は何度となく経験しているが露店スタイルで、しかもまったく無関係の人が見ている前で削るというのは初体験である。しかもその初体験の地がメキシコときた。でも、そのハチャメチャさこそ、ぼくらが望んでいたものだった。
午前9時、Dora’s Caféの前にテーブルを置いて作品を展示。それぞれの作品には、前日にダンボールを切って用意していた値札がつけられた。10時に件の美容院でテーブルをピックアップ。その端っこに日本から持参した万力を取り付け、いよいよ準備は整った。
準備が整った途端、カワベくんが「削っていいですかね?」。
「もちろん、どんどん削ってよ」
カワベくんは憑かれたように削った。地元の通行人や観光客が立ち止まって興味深げに視線を送る。人だかりができることもあった。カワベくんは彼らに笑みを返してはいたが、作業はほとんど中断しない。気持ちは完全に制作に入っていた。お昼過ぎ、カフェからランチをケータリングしてもらったところで初めて話らしい話ができた。
「結構入っちゃってるね」
「ええ、メキシコに来るまでしばらく削ってなかったんで、削りたくて仕方なかったんですよね」
ぼくがしばらく文章を書かなかったからといって、「書きたくて仕方ない」ということには絶対にならない。このオトコは本当に幸せもんだ。
午後からも黙々と削り続け、夕方には、あとは磨くだけという状態に仕上げた。その指輪のデザインは、メキシコに到着してから浮かんだイメージをカタチにしていた。それを見たカナダ人のストームがこう言った(ストーム。
「素晴らしい、(デザインに)始まりがなければ終わりもない」
これはカワベくんのそのリングのデザインをこれ以上ないほど的確に表現した言葉だった。その言葉に、カワベくんはいたくお喜びのようだった。メキシコにも自分の作品を深く理解してくれる人がいた、カワベくんはそう思ったに違いない。
翌日の土曜日もカワベくんは朝から削った。この土曜日から、ぼくが接客係となった。足を止める人たちに、つたないスペイン語で、「彼は日本から来たアーティストで、ナットを削って指輪を作っているんです」と説明した。これでカワベくんの荷が軽くなったのか、前日にも増して速いペースで削りつづけた。午後2時頃にはひとつめの削りを完成。間髪入れず、その日ふたつめのリングの削りに入った。削りたい、という渇きのようなものに加えて、湧き上がる作品のイメージがカワベくんを突き動かしているのは明白だった。
展示2日目を終え、作品制作は予想以上に順調に進んでいった。しかし、展示した作品は、現地の物価を考慮した価格がそれでも高かったのか、まったく売れなかった。残すはあと1日。カワベくんのリングを買う人がはたして出てくるのか?(次回最終回につづく)